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8.無人島での一幕

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作者:しょうきち

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 一方の、公人と望はーー。

「うぅおおおっ!」
「ハハッ、 まだまだだね」
 望に追いすがろうと必死の思いで泳ぎ続ける公人であったが、前方を泳いでいる望の姿は視界の端、未だ遥か彼方であった。
 息も絶え絶え、意識朦朧の中ではあったが、公人は脳内で、目的地である無人島までの距離を計算していた。
(確か、数学か物理の授業でやってたな……。水平線までの距離は4キロちょっと。あの島の見え方からして、水平線よりもう少し手前にあるとすれば、泳ぐ距離は3キロ強ってところか……?)
 キロメートル級の遠泳は初めてとなる公人はまず、一体どこまで泳げばいいのかという不安と闘う必要があった。
 一見不必要にも思える、こうした思考力の無駄遣いであったが、とりあえず何か考えている間は不安から気を紛らわせる材料にはなる。今はそうしなければならなかった。
 何せ、今泳いでいる海域は既に岸から遠く離れ、とうに足がつく範囲を越えているのである。不安に心を支配され、諦め、力尽きたとき、死神は容赦なく公人を海底へといざなうだろう。
 
 このままではラチが明かないと、公人は望に追い付くべく泳ぐ速さのギアを一段上げた。しかし、公人が望の泳いでいたエリアまでたどり着く頃には、既に望はそのはるか先を泳いでいるのであった。
 そして疲れてペースが落ちてくると、望はあえて公人に併せてペースダウンする。
 そのような果て無き追いかけっこが、 先程から続いていた。

 『ゼノンのパラドックス』という命題がある。
  とりわけその中でも、俊足に定評のある、ギリシャ神話に登場するアキレスが、のろまな亀を追いかける話が有名であり、これが『アキレスと亀』と呼ばれている。
 アキレスが亀を追いかける際、必ずアキレスは亀のいた地点を通過しなくてはならないが、 アキレスが亀の出発点に到着した時、亀はもっと先の地点にいる。そして、アキレスがその亀のいた地点にたどり着いた時には、亀はもっと先の地点にいる。そして、もっと先の亀のいた地点にアキレスがたどり着いた時には、亀は更に先の地点にいる。これは理屈の上では無限に続くこととなる。
 従って、アキレスはどれだけ速く走っても亀に追い付けないし、亀はどれだけ遅くとも、休みなく歩き続ける限りアキレスに追い付かれることは決してない。
 この逸話は、タイトルにパラドックスと付くだけあって矛盾を孕んでおり、 実際にこの試行を無限に繰り返そうとすると、ある時点(勿論、亀とアキレスのスタート地点、双方の速度による)においてアキレスは亀を追い抜くこととなるのだが。
 どこまで行っても望に追い付けない公人は、数学教科書のコラム欄に書いてあったこの逸話を思い出していた。
(アキレスは競う相手が亀だからいいけど、逃げるのがアキレスで追うのが亀だったら、どうすりゃいいんだよ!)
 必死の想いで望に食らい付いて泳いでいるうちに、やがて無人島の岩肌が公人の視界に入ってきた。
(あっ、もうゴールに着いてしまう。 早くっ、清川さんに追い付かないと!)
「追い付けないと、野球部にぃぃ、入ってもらえないっ! うおおおおおっ!!」
 公人は最後の力を振り絞り、 両腕の回転を速めた。その甲斐あって、望との距離がじわじわと縮まって行く。
「わ、公人。もうこんな近くまで!?」
 思いがけない公人の頑張りに、望は少しだけ本気を出して、公人を引き離しにかかった。
「差が開いていく……。まだだ! うおおおおっ!」
 公人は尚も必死で食い下がり、限界を超えた力を振り絞った。望の姿を前方5メートルほどの位置に捉える。

 ゴールは目前、逃げる望、追う公人。
 公人の決死のド根性は実るのか?
 望のつま先まで、公人のその手は届くのか?
 ……と、思われたその時、公人の視界は狭まり、意識は闇へと飲み込まれていった。限界を越えた代償であった。

「……と、……人」
「ムニャ……」
「……公人?」
「……ファっ!? 清川さん!?」
「良かった。気が付いた?」
「ここは……?」
「目指してた、無人島だよ。あ……、まだ動かない方がいいよ」
  公人が目を覚ました瞬間、視界に入ってきたのは 、逆さまになった望の心配そうな表情であった。
 公人は、望の太股の上に頭を乗せられ、両手で頭を抱えられていた。四足獣の如きバネを持つ、機能的に鍛え込まれた大腿筋からは、運動後特有のほんのりした熱さが感じられた。
「危なかったね。あのまま沈んでいたら、溺れ死ぬところだったよ」
 公人は唇にヒリヒリした痛みを感じていた。クラゲにでも刺されたか、少し海水か砂かを飲んでしまったせいかもしれない。
 見上げれば、望もそこはかとなく、唇周りが腫れているようにも見えた。
「助けて……、くれたの? ありがとう、清川さん。あれ…… 、なんだか雲行きが……?」
 公人が見上げている先の上空では、気付けば雨雲がゴロゴロと黒い渦を巻いていた。
「あ、本当だ。こりゃ、ひと雨来ちゃうかな?」
 望も空を見上げ、言うか言わずかの瞬間に、 辺りには耳をつんざく様な轟音が鳴り響いた。
「キャァーッ!!!」
「き、清川さん!?」
「あ、あたし、雷は……。だ、駄目なのぉっ!」
 泳いでいるときの強気な姿が嘘のように、 雷鳴を前にした望は怯えていた。子供のように震え、公人に対し覆い被さるように抱きついた。
「ちょ、待って、清川さん! 身動きがとれない! 落ち着いて」
 再び、一瞬のフラッシュと共に、辺りには轟音が鳴り響いた。
「っキャァァァァーーーーッ!!」
「き、清川さーん!」
(こんなに雷を怖がるなんて! 清川さんは水属性だから、雷には弱いのかな? 意外な弱点を見つけてしまったぞ……)
「清川さん、安心して。俺がついているから」
「う、うん」
「何にしても、ここは危ないから、ほら、向こうの岩場の影に行こう」
「わ、わかったわ」
 身を隠せそうな岩影を探し、二人で身を寄せあって身体を屈めた。
 狭い岩影の中、望と肩を寄せ合いながら、公人は尋ねた。
「少し落ち着いた?」
「うん、ありがとう……公人……」
「おほん、ところでさっき泳いでいたとき、俺が溺れたのは、どの辺りだったの?」
「うーん、島に着くまであと2、3百メートルの距離ってところかな?」
「そっか……。清川さんにもう少しで追い付けるかなって思ってたけど、勝負どころか、ゴールすら出来なかったなんて、情けないな」
「公人……、そんなこと無いよ。これだけ泳げる人はそうそういないよ。それに、私は競泳用のサメ肌水着、公人はレジャー用のファッション水着じゃないか。それで追い付けそうになっただけでも、相当頑張った証拠だよ」
「いや、そうかもしれないけれど勝負は勝負。野球部はあきらめるよ。それでも、勝負してくれてありがとね」
「その事なんだけどさ、私、正直言うと少し迷ってて……」
「ええっ!?」
「私、水泳ではずっと一人でトレーニングしててさ、私の練習について来られる人なんて誰もいなくてね、ジュニアの大会なんかでは勝って当然みたいに見られててさ」
「うん。中学の頃から全国に敵無しだったんだよね?」
「まあね。でもね、甲子園出場みたいな凄い高い目標を掲げて、仲間と一緒に頑張って、こういうのもいいかなって最近思えてきて。水泳みたいな個人競技じゃ、こうはいかないよね」
「それは……、確かにそうかも」
「それに、短期間で私の泳ぎについてこれる程、頑張ってる、公人達の力になりたいって思えてきて……」
 心なしか、望の瞳は潤んでいるようにも見えた。
(激しい雷雨で、不安になってるのかな?  でも、そんな気持ちにつけこむのは、悪い気がするぞ)
「き、清川さんには水泳があるんだから、水泳を続けなくちゃ駄目だよ。オリンピックだって、皆が期待してる」
「……そ、そう、だよね。あはは……」
「……」
「……」
 気まずい沈黙が流れた。
 気付けば急激な雷雨はかなりの部分、勢いが弱まっており、雲間から海原に向かって陽光が差し込みはじめていた。それを見た望が沈黙を破った。
「そ、それじゃ、そろそろ泳いで戻ろうか。沙希達、心配してるよね」
「う、うん。今度はマイペースで頼むよ」
「うん。私も、今はゆっくり泳ぎたい気分だったから……」
「??」
「それじゃ、行こう。公人」
 
 復路は、公人でも十分についていく事が出来るゆっくり目の速度で泳いで帰った。

 公人達が元の海岸にたどり着いたとき、海岸では沙希が手を振って出迎えていた。
「雷が凄くて、心配したのよ。二人とも、大丈夫だった?」
「ああ、危なかったけど、何とかね。あれ、 好雄は……?」
「好雄くん? そこよ」
 沙希が目線を向けた先には、両足をプルプルと震わせて砂浜に突っ伏した好雄がいた。時折、「アアア、脚がァ……」といった呻き声が聞こえてくる。
 そんな好雄の事はひとまず見なかった事にして、公人が言った。
「おほん、それより虹野さん、勝負の結果なんだけど、残念ながら……」
 沙希は公人を手で制止し、言った。
「公人くん、あなたはよく頑張ってくれたわ。結果は結果。 残念だけど、しょうがないわ。私の我儘に付き合ってくれてありがとね、望ちゃん」
「沙希、その事なんだけど、私、 私……」
 望は、先程公人に話したように、野球を始めるか、これまで通り水泳を続けるか悩んでいることを、沙希に話した。
 ひとしきり話を聞いた後、暫し熟考の後、 沙希が口を開いた。
「望ちゃん、悩んでいるなら、こういうのはどうかしら?」
「え?」
「一流水泳選手の清川さんは、実は野球も好きで、水泳部が休みの日は『趣味で』野球をしている。その流れで、野球の試合の助っ人も時折やっている。こういうシナリオでどう?」
「な、なるほど……!」
「だから、野球部 に来るのは……、水泳部の休みって、確か週1日だったかしら? その日だけでいいわよ。勿論、もっと来てくれるなら、いつでも歓迎よ」
「沙希……、うん、よし、乗った。それじゃ、これからよろしくね。公人、沙希」
「お、俺もいるぞ……!」
 遠くのほうで、好雄が呻き声を上げていた。

 かくして、強力な仲間が加わる事となったきらめき高校野球部。
 しかし未だ(マネージャーである沙希を含めてさえ)、部員は4人。公式試合を行うには、秋野大会が始まる9月中旬までに、最低でも9人の部員を集める必要がある。
 果たして公人達は見事部員を集め、甲子園出場という夢へ向けての一歩を踏み出すことができるのであろうか。

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