作者:しょうきち
あれから土日が明け、 全校を巻き込んだ活況は忘れ去られ、きらめき高校にはいつもの日常が戻って来ていた。
公人はというと、学園生活をほどほどに過ごし、時たま女の子に声をかけたりかけられたりといった、これまで通りの日常を過ごしていた。
そんな、ある日の放課後のことである。
いつものように、 好雄と女の子を誘ってカラオケにでも行こうか……、そんなことを考えながら下駄箱を開けると、そこから純白の封筒がポトリと落ちた。
勿論、公人には心当たりはない。
封筒を手に取ると、仄かに女子特有の、ラベンダーめいた芳香が、公人の鼻腔を擽った。
封筒表面には何も書かれていない。周りに誰も居ない事を確認し、ドキドキしながら中を開くと、一通の手紙が納められていた。
『伝説の樹の下で、待ってます』
手紙には可愛らしい文字で、それだけが書かれていた。
宛名も差出人も書かれていないが、恐らく女子からと思われるこの手紙。そして、あの伝説の樹の下への呼び出し。
これが何を意味するのかは、きらめき高校の男子生徒なら、余程の鈍感でない限り一瞬で察することができる。
即ち、女子からの告白である。
(ムフフ)
公人は手紙を手に、逸る期待を胸に脇目も振らずに校庭にある伝説の樹へと駆けて行った。
今時古風な、こんな手紙を書いたのはどんな子だろうか。公人の脳裏には、勝手に箱入りで恥ずかしがり屋な感じのお嬢様が浮かび上がっていた。
そんな思いを抱きつつ、伝説の樹の元へとたどり着いた公人の目に入ってきたのは、 樹の根本へとおもむろに置かれた野球のグラブであった。
「誰だろ。忘れ物かな」
そのグラブをひょいと拾い上げる。
すると、樹の裏側に隠れていたのか、公人の視界に一人の少女の姿が飛び込んできた。
「に、虹野さん?」
「こんにちは。公人くん。手紙は見てくれたかしら?」
伝説の樹の裏側から姿を見せた少女は、先日の甲子園予選・決勝戦で大立ち回りを見せた、野球部マネージャーの虹野沙希であった。
先日はユニフォーム姿であったが、今日はセーラー服が眩しい。
そして、どうやらこの手紙を下駄箱へ忍ばせた主でもあるらしい。
「あ、この手紙は虹野さん?虹野さんが、こんなにも俺の事を思っていてくれたなんて……!」
「ええ、これまでは野球部の練習が忙しかったんだけど、 本当は、貴方の事が4月からずっと気になってたのよ」
「虹野さん……!」
「貴方が……欲しいわ……!」
「虹野さん!」
両手を組み、潤んだ瞳で力強く言う、沙希の大胆な告白に、公人は思わず感極まった。
高まる期待と共に、公人が沙希の肩をそっと抱き寄せようと、両手を前に出したところに、沙希は公人が持つグラブを手に取り、公人の左腕にポンと嵌めた。
「はい、コレ」
沙希はボールを手に、屈託の無い笑顔を見せた。
「……へ?」
「野球部は三年生が引退して、人が足りなくて、試合はおろかまともな練習も出来ない状況よ。だから、中学時代シニア・リーグで活躍していた貴方に、どうしても野球部に入って欲しいのよ。貴方がどうして野球を止めちゃったのかは分からないけど、私と一緒に甲子園を目指して欲しいの!」
「告白は……?」
「ん?何の事?」
「……ですよね」
「まずは、貴方の今の実力が見たいわ。キャッチボールから見せてくれる?」
有無を言わさぬ勢いである。
沙希はそう言うと十数メートル程、後ろへ駆けて行った。
「公人くんはもう少しバックしてくれる?それじゃあ、いくわよーっ!」
沙希は純白のパンティが露になることも厭わずに、ダイナミックに脚を真一文字に上げ、公人の元へに球を投げ放った。
「うおおっ!?」
パンティに目をやっている暇は全く無かった。
糸を引くような軌道で胸元へと伸びてくる、綺麗な回転で放たれた球に対し、公人は反射的に左手のグラブを突き出した。
すっぽりと球が収まる。
公人の胸中に、かつての記憶が去来した。
(す、凄い。キャッチボールとは言え、こんな鋭い球を投げる女子なんて、まるでアイツみたいだ)
「公人くーん、早くぅ」
有無を言わせず返球を促す沙希に、公人はボールを投げ返した。が、思わず力が入る!
「わ!」
「ご、ごめん、虹野さん、大丈夫!?」
力の入った速球を受け、伝説の樹の根元に尻餅をついた沙希に、 公人は思わず駆け寄った。
「凄いわ、公人くん。ウチの新エースはもう決まりね」
尻餅をつきながらも、沙希のクラブにはしっかりとボールが納められていた。
「さあ、もう一球よ!」
夏の陽射しにも負けない、気持ちのいい笑顔で沙希は鋭い球を公人に投げ込む。
何故だか分からないけど人を、そして男をやる気にさせる魔法のような力がある。
公人は沙希の輝くような笑顔に、そう感じていた……。
そして、15分程が経過した。
「はぁ、はぁ……」
キャッチボールとはいうものの、気付けば球数は既に100球を超えていた。
「まだまだいくわよーっ。それっ!」
「うっ、はぁ、はぁ……」
当然、沙希が投げた球数も100球を超える。
凄まじい球威というわけではないが、これだけの球数を、昔のド根性系野球漫画の主人公のような、ダイナミックなフォームで投げ続けて尚、コントロールに乱れは見られず、 ほぼ全ての投球が公人の胸元に集められていた。
女子としては驚異的な足腰と体幹の強さである。
一方で公人の方は、運動不足も祟ってか、50球を超えたあたりから息が乱れ、コントロールがやや狂いはじめていた。
沙希に促されるまま、カーブ、 スライダー、フォークと一通りの変化球も交えて投げていたせいもあってのことだが。
「ふう、それじゃ、このくらいにしておきましょうか」
左手のグラブにボールを収め、 再び公人の元へ走ってやって来た沙希が言った。頬には一筋の汗が滴っていたが、公人と違い、ほぼ息はあがっていない。
「凄いわ、公人君。予想以上だわ。貴方は絶対、わたしと一緒に甲子園を目指すべきよ」
「ふぅ、 はぁ……、その事なんだけどさ」
「なあに?」
「ほんの遊び程度ならともかく、本気でやるっていうなら勘弁してもらえないかな」
「どうして?」
「俺の肘さ、ドクターストップ、かかってるんだ」
「痛むの?」
「ん、そうでもないけど……。とにかく、これ以上野球を続ければ3ヶ月以内に必ず壊れる、ガラスの肘なんだってさ」
「……! こっちこそ、そんな事情も知らないで、忘れようとしていた野球に引っ張りこもうとしたりして、ごめんなさい」
「ま、 久しぶりにボール握れて、楽しかったよ。それじゃあね」
そう言うと、公人は沙希に背を向けて、伝説の樹を後にした。
去ってゆく公人の背に向けて、沙希が声を掛けた。
「公人くーん!今日はありがとーっ!それでも、もし野球がやりたくなったら、いつでも来てね。歓迎するわよーっ!」
公人は後ろ手をひらひらと振り、 校門を後にした。
「いいお医者さんも紹介してあげるわよーっ!」
沙希の声が、きらめき高校の校庭にこだましていた。
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