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1.EP1―① ~こぼれ落ちる勝利~

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作者:しょうきち

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「ワー、ワァーッ!」
 7月下旬。東京都新宿区明治神宮外苑、明治神宮野球場。うだる様な猛暑の中、この歴史と伝統ある球場はひときわ大きな熱気に包まれていた。
 この日行われているのは、全国高等学校野球選手権・東東京大会。所謂夏の甲子園の地区予選である。
 そして大盛り上がりを見せている理由は、激戦区である東東京地区の最終試合、即ちたった一枚の夏の甲子園出場をかけた切符を争う決勝戦が本日ただ今行われているためである。
 対戦校であるきらめき高校と超星高校は両校共に実力が伯仲しており、この試合は一点を争う息詰まる試合展開となっていた。
 対戦校の一方である超星高校は、プロ注目レベルの選手を何人も抱え、先に行われた春の甲子園を制覇している。
 対するきらめき高校も投手力とチームワークによって一歩も譲らず、ここまでを0点で守り抜いて来たのである。
 勝負の行方は最早誰にも分からない。神のみぞ知るといったところである。

 きらめき高校が甲子園を伺える程の強さとなったのは、比較的近年の事であった。
 過去においては精々二回戦突破が目標というレベルであったきらめき高校野球部は、数年前から理事長肝入りによる強化策が執られていた。成果は順調に表れ、一昨年はベスト8、昨年はベスト4と躍進を重ね、今年は遂に決勝戦の檜舞台へ立っているのである。
 この快進撃にはいくつもの理由が挙げられる。それは練習設備の充実化、指導者としてOBである元プロ選手の招聘といった学校側のバックアップ、そして選手達のたゆまぬ努力といった要因である。
 しかし、「中でも最大の要因は何か?」と問われた場合、これらはどれも選択肢から除外される事になる。
 では、それは何か。
「みんな、ここが正念場よ! ファイトーッ!」
 三塁側のベンチでは、きらめき高校の女子マネージャーがスコアブックを付ける傍ら、球場内に響き渡る大声で選手へ声援を送っている。
 降り散る汗もそのままに、グラウンドに降り立ち、いつも全力で選手たちを鼓舞するその少女は、名前を虹野沙希といった。
 彼女がベンチに居るだけで、実際にプレイする選手たちのモチベーションは不思議と大きく上がるのだった。
 彼女の声援に心打たれた部員達の奮起によって、きらめき高校野球部はこの大会においても苦戦、接戦、格上の強敵であってもギリギリながら見事な勝利を収めてきたのである。
 選手ですらない、女子マネージャーひとりの存在が勝敗を左右するなど、眉唾の様に感じられるかもしれない。しかし事実、きらめき高校が実際に二回戦レベルを脱したのは、彼女がきらめき高校へ新入生として入ってきて野球部マネージャーに就任した二年前からである。
 この、いちマネージャーである『虹野沙希』の存在こそが、きらめき高校最大の強みであると評する専門家も多い。
 また、沙希はその可憐な容姿も相まって一部からは『グラウンドの女神』『球場のアイドル』等と呼ばれており、高校野球マニアの間では下手をするとプロ注目の有望選手よりも有名な存在であった。
 中にはスタンドから望遠カメラを使って彼女の一挙一動を盗撮する者さえもいる程である。その映像はマニア間で高値で取引されており、透けブラ写真やへそチラ写真にはプレミアが付いていた。
 この試合は、純粋な高校野球ファンやプロのスカウト等だけではなく、そういった邪な者達にとっても必見の価値ある試合なのである。

 さて、試合の模様であるが、現在のスコアは0対0でイニングは9回裏、ワンナウト満塁。きらめき高校の守備である。
 マウンド上にはこれまで全試合を投げ抜いてきたエースの市川。快速球とピンチの時も動じない強靭なメンタルが武器の、都内No.1の呼び声も高いプロ注目の投手である。
 本日の調子は絶好調。変化球のキレも良く、ここまで15奪三振の圧倒的なピッチングを見せていたが、9回を迎えエラー二つに四球と続き、ノーヒットながら満塁のピンチを迎えていた。
 対する対戦高の超星高校は三塁ランナーに豪打と積極走塁が売りの玄田、二塁ランナーに小柄な業師の肝付、そして一塁ランナーには先程四球で出塁を許した鈍足強打の田中を置き、打者には尚も打率三割五分、快打者の安原を迎えていた。
 一打サヨナラの場面である。ヒットは勿論、パスボール、ホームスチール、スクイズ、犠牲フライ等様々な失点要因が喉元まで迫ってきている状況である。中でもスクイズが最も警戒されるところであり、グラウンド上の選手達は勿論、ブロックサインを送るベンチ内にも張り詰める様な緊張感が走る。
 打つのか、バントに出るのか、一体何球目に動きを見せるのか。
 しかし、この緊迫感溢れる場面で市川の投球は堂々としたものであった。
 ワインドアップ・モーションから市川が初球を投じた。それと同時に三塁ランナーの玄田が猛然とダッシュし、打者の安原はバッティングフォームから即座にバントの構えに切り替えた。初球スクイズである。
(俺のストレートはそんなに甘くないぜ!)
 この場面で投じられた球は、今日一番のスピードと球威であった。打者の安原は辛うじてバットにボールを当てたものの、速球の球威が勝り、ボールは鈍い音を立てて小フライとなって市川の前へ飛んだ。
「ぬう、おおおおおっ!」
 市川が吠え、猛烈な勢いで人工芝の上を滑りダイビング・キャッチを試みた。
 倒れ込み、差し出したグラブには白球が収まっていた。ムクリと起き上がりつつ捕球をアピールすると共に周囲の状況を確認すると、一塁ランナーの田中が塁を飛び出している。
 市川はそれを見て一塁へと送球した。
 鈍足な田中の帰塁は間に合わず、ダブルプレーが成立。審判によってスリーアウトがコールされた。
「ふぅーっ、この回も無得点で凌いだぞ。次の延長で決めてやるぜ!」
 続く延長戦へ臨む為、気合いを入れ直しながら三塁ベンチへ引き上げる市川。しかし、スコアブックをつけていた沙希は何かを見落としているような、小さな違和感を感じていた。
(何かおかしいわ……あら? 何でかしら……。スコアボードに点が入ってるわ。さっきはダブルプレーでチェンジだった筈なのに。係の人のミスかしら?)
 そして市川を初めとしたナインがベンチへ戻るためにファウルラインを越えた瞬間、沙希はハッとして叫んだ。
「あ、あああっ!」
「どうした、マネージャー?」
「みんな、守備に戻ってェ!」
「何を言っているんだ。さっき確かにスリーアウトがコールされただろう」
「そうだぞ虹野。次は延長の表だぞ。攻撃の準備だッ!」
「サ、サヨナラなのよぉっ!!」
 沙希は絶叫し、スコアボードを指差した。きらめき高校ナインがその先を見ると、確かに超星高校に一点が加算されている。続けて審判によってゲームセットがコールされた。
「な、何ィ、バカなぁ! 何で超星に一点が入っているんだ!?」
「何かの間違いじゃあないのかぁっ!?」
 次々と抗議の声を上げるきらめき高校ナインを制し、主審は先程のプレーの解説を始めた。
 これは俗に「ルールブックの盲点」と呼ばれる現象である。盲点とは言うもののルール上の不備という訳ではなく、公認野球規則に明記されている取り決めである。
 小フライとなったスクイズボールを直接捕球してツーアウト、塁を離れていた田中が帰塁する前に一塁へボールを送ってスリーアウト、ここまでは間違いない。
 しかし、ここで問題となるのが三塁ランナーの玄田である。玄田は田中がアウトになる前にホームインしていたのである。
 本来ならタッチアップせずに暴走したこの走塁こそが大ボーンヘッドとなる。だが、3アウト目を一塁で取ったとき、玄田は既にホームインしており、この得点は一旦はそのまま記録される事となる。守備側はタッチアップが早かった事を審判にアピールする事によって三塁ランナーをアウトにし、得点を取り消させる事ができる。しかし、きらめきナインがベンチへと引き上げた瞬間にアピール権が消失したため、この得点は取り消されずに成立する事となったのである。
 これを防ぐためには三塁へボールを送り、第四アウト、即ち三つ目のアウトの置き換えをしなくてはならなかったのだが、中々見られないレア・ケースの為にエース市川もマネージャーの沙希も、きらめき高校関係者は皆その事を失念していたのであった。
 こうしてひりつく様な決勝戦は、この1点によって壮絶なサヨナラ決着となり、きらめき高校野球部の熱い夏はここに終わったのである。
 これは三年生にとって引退試合となる最後の大会である。そして最後となるのは、選手だけではない。
 三年生であるマネージャーの虹野沙希にとっても、この敗北は野球部からの引退を意味していた。

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