作者:しょうきち
あれからおよそ1ヶ月が過ぎた。
沙希はあの一件以来、殊更無為に日々を過ごしており、気付けばあっという間に夏休みも終わり、二学期が始まっていた。
その間は未緒とも会っていない。向こうは超名門校である一流大学(人文学部)を目指す受験生であり、受験勉強の妨げになってはいけない。そう思ったためである。
進学校であるきらめき高校にあっては、二学期以降、受験組ではない沙希のような生徒の学生生活はさして意味のあるものではない。
授業やテストもとりあえず卒業のため、単位を取るためだけの通過儀礼のようなものでしか無かったし、文化祭等の学校行事も開催や運営は一、二年生主体にシフトしてゆく。
志望校合格のような一大目標のある受験組、もしくは就職組等とは違い、沙希のような専門学校組はハリの無い生活を送っていた。有り体にいえば、暇なのだ。日常に刺激が欲しくなるのである。
そんな時、嫌が応にも思い起こされるのは、あの夏の一夜の出来事であった。初めて男の味を知り、獣のように嬌声を上げ、肉欲の虜となるあの感覚……。
(ば……何て事考えてるの、私! もう、あんな事はしないのよ……。あんな事ッ……!)
そんなある日の放課後。校門を出て帰路に就こうとする沙希を沿道から呼び止める声があった。
声の主は400ccバイクに跨がり、重く低いエンジン音を鳴らしながら沙希の側へ近付いて来た。
何やら呼ばれたような気はしていたが、沙希はここにあって初めて呼ばれているのが自身であると気づき、身構えた。
声の主は意外な男であった。
「え……っ!?」
「よーう、沙希ちゃん、久し振りだね。俺の事、覚えてる?」
その男はバイクを側道に停車させると、ヘルメットを外し、沙希の元へ寄って行った。
ヘルメットを外し、露になったその顔は、沙希にとっては忘れようにも忘れられない顔であった。
沙希の処女を奪った男、シンである。
「な、何で……?」
「俺、沙希ちゃんの事が忘れられなくってさ。ずっと気になって、探してたんだぜ? どこの高校通ってるのか。とか、普段どんな所で遊んでるのか、とか。俺以外の彼氏が居たりしないか。とか考えながら、ね」
「な……わ、悪いんだけれど、もうあなたとは逢いませんッ。もう来ないで下さいっ……」
「そんな事言われても納得できるかよ。俺、マジで沙希ちゃんの事が好きなんだぜ?」
(ドクンッ……)
沙希の心拍が、ときめきと共に高鳴った。
男慣れしていない沙希にとっては、このようなストレートな殺し文句がクリティカル・ヒットするのである。
「そ、そんな事言われても、私、私……」
「フゥーっ。分かったよ。凄ェ残念だけど、そんなに言うなら……もう逢いになんて来ねぇよ」
「えっ……!?」
「でもよ……。頼むッ! 最後に一回、一度だけデートしてくれないかっ? 勿論沙希ちゃんの望まない事なんて決してしない。無理矢理したりなんかしないからさぁ」
「だ、駄目よ……。そんな事……出来ないわっ……」
「俺、沙希ちゃんの事凄ェ好きだけどよ、最後に一回だけデートしてくれたら忘れられるよう頑張るからさ。頼むよ、一回だけ」
(一度だけ……これが最後なら……)
グラついていた沙希の心の中の天秤が、一方へと傾いてゆく。
「わ……分かっ……たわ。い、一度だけ……、これが最後よ?」
「ヒヒッ、良い返事だ。それじゃあ沙希。ホラ、後ろ」
シンは沙希に予備のヘルメットを渡し、乗ってきたバイクの後部シートを顎でクイッと指した。乗れよ、という事である。
「え、ええ。分かったわ、シンさん……」
シンに言われるまま、熱で浮かされたようにヘルメットを被り、バイクの後部席に跨がる沙希。ヒヤリと冷たいヘルメットの内側からは、違う女の香水の匂いがした。
「しっかり捕まってろ……よっ!」
沙希を自身にしっかりと抱き付かせ、シンはバイクのアクセルをふかす。クラッチを滑らせ、タイヤとアスファルトの摩擦による焦げ臭い匂いをさせながら、猛然と走り出して行った。
「きゃあっ!?」
「ハハッ、楽しいトコ、連れてってやるぜぇ!」
二人が爆音と共に瞬く間に走り去っていった後、その傍らのきらめき高校校庭では、伝説の樹がいつもと変わらぬ佇まいを見せていた。
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