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17.EP3―⑧ ~鈍色の卒業式~

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作者:しょうきち

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「あぅ……ううう……」
 幽鬼のような表情で、夜の繁華街を独り歩く少女がいる。
 彼女の名は虹野沙希。今の彼女を見て、数ヵ月前は主に運動部員を中心としたきらめき高校の生徒達の羨望を集め『運動部のアイドル』などと呼ばれていたと言われても、誰が信じようか。
 あれからたっぷりと何時間にも渡って犯されぬき、沙希は息も絶え絶え、意識もまばらな状態で悪魔の巣から解放された。夕子からは経口避妊薬━━アフターピルを、岸川からは約束どおり茶封筒に収められた100万円の札束を渡されており、それらを乱雑に鞄の奥底へ押し込めていた。岸川はニタニタと笑いながら「今日このホテルであった事は誰にも秘密だよ? 学校や家族、もちろん警察にもだ。沙希ちゃんはそんな事しないって信じてるけど、もしも言ったら、このビデオをネットで世界中にバラ撒くからね」と言い残し、夕子と腕を組んで夜の街へと消えていった。二人が何処へ向かうのか、それは最早知りたくもなかった。言われなくともこのような体験、誰かに話すなど考えるだけで気が狂いそうである。
 淫売そのもののような乱れぶりを見せていた沙希であったが、薬物による想像を絶する昂りから一旦醒めてしまうと、後に待っていたのは後頭部を何度も何度もハンマーで殴られ続けているような激しい頭痛と、全身の血管に溶けた鉛を流し込まれたような疲労感、そしてこの世界における何もかもがどうでも良くなるような虚脱感であった。心と身体の大部分がげっそりと削げ落ち、何処か遠いところへ飛んでいってしまったかのようである。膣内射精を受け止めた回数は、四度か五度か……。最早数える事も、思い出す気力さえも起こらなかった。
(ひどい…………顔……)
 ブティック店のショー・ウィンドウのガラスに映った自身の顔は、ひどく疲れきっていた。新緑を思わせるサラサラのショートカットは、汗と涙、その他良くわからない液体で散々に乱れ、薬物の後遺症なのか目元も落ち窪んでいる。さながらゾンビ映画の登場人物のようであった。
 身体の節々が痛む。単に膝やら肩やらをぶつけたとか、普段使わない筋肉を酷使したとかいった次元ではない。生命力というか、脳幹や脊髄といった運動機能の中枢を司る部分が、身動きする度に金属板を爪で引っ掻いたような不協和音を奏でているかのようである。
 今すぐ帰ってシャワーを浴び、泥のように眠りたかったが、歩みを止める訳にはいかない。今、この瞬間もヤクザの事務所で監禁されている筈の彼氏、シンの身柄を救いだす。最早遠い昔のようにも思われる、そんな目的だけを道標に足を前に出し続けていた。
「ぁ……っ!」
 足がもつれ、アスファルトに倒れた。
(痛たた……た、立たなきゃ……)
 右足にズキリと鈍い痛みが走る。どうやら挫いてしまったようである。痛みに耐え、根性で立ち上がった。
 涙がポロポロと溢れ落ちる。そのため視界には何も入って来ず、通行人にぶつかりそうになったり、バイクや車にはねられそうになる。
(何やってんだろ……。私……)
 けたたましいクラクションの音さえ、どこか遠くで鳴っているような気がした。
 痛みと涙で顔を歪める沙希の視界に、一枚の打ち捨てられた新聞紙が飛び込んできていた。どうやらスポーツ新聞のようである。涙を拭うと、そこに書かれた内容が目に入ってくる。それは、本日開催された日本プロ野球ドラフト会議の速報を報じるものであった。
「…………あああっ!?」
 沙希は思わず素っ頓狂な声を上げていた。
 その号外の一面は、近年では珍しい、現役高校生がドラフト一位に選ばれた事を報じるものであった。一面では史上初の10球団一位指名を受けた超星高校の田中について報じられていたが、沙希の目に留まったのはそこではなかった。紙面の片隅では、きらめき高校野球部三年、エースピッチャーの市川守が日ハムから外れ一位で指名を受けた旨が報じられていたのである。
「あはは……は……。そっか、今日って、みのりちゃんとの約束の日…… 。市川くんの、晴れの日……」
 沙希は新聞紙をくしゃくしゃに握り締め、がっくりとうなだれた。事情はどうあれ、大事な後輩との約束を反古にした事には変わりはない。薬物に身を焦がし、中年男との爛れたセックスの対価に金銭を得ていたのである。その事実は沙希の心を痛烈に締め付け、身をバラバラに引き裂くような痛みを与えてくるのだ。そうした浅ましい自分が新聞紙面に映る健全な球児たちと同じ空間にいて、一緒に一つの目標に向かって汗を流していた事自体、今となっては何かの冗談のように感じられる。
(こんな私じゃ、おめでとうなんて……言えないよね。さよなら……市川くん……、みのりちゃん……、野球部の、みんな……)
 沙希は拾い上げた新聞紙をゴミ箱に捨てると、再び歩き始めた。そして、その足がきらめき高校野球部へと向けられる事は、二度と無かった。 

 市川が見事一位指名を受けたドラフト会議の日から、およそ4ヶ月━━。
 季節は巡り、桜の咲く季節。
 今日はきらめき高校の卒業式である。長い長い校長の話も先ほど終わり、式を終えた卒業生達は体育館を後にし、最後の別れの時を惜しみつつ過ごしていた。教室内ではこの後友人グループで向かう打ち上げの店の予約をしている者、気の合う友人と卒業旅行の計画を立てている者、別れを惜しみ涙している者と、様々な者たちが思い思いの話に花を咲かせていた。これまでの三年間、男子であろうと女子であろうと、皆それぞれにドラマがあり、皆形は違えど青春と呼ぶべき時間を過ごしてきたのである。
 こうした喧騒を離れ、一人中庭でたたずむ女子生徒がいた。
 元野球部マネージャー、虹野沙希である。
 沙希はこの三年間の一つ一つの思い出を反芻するように空を見上げていた。思い起こせば、野球部の思い出がその殆どを占めているような気がする。
 白球を追う野球部員たち。彼らを応援し、陰に日向に全身全霊でサポートすることが、沙希の青春の全てだった。
 そんな中でも最も印象深かったのは、二年夏、エースピッチャーである市川と二人で行った神社での秘密特訓である。元々一年夏からエースナンバーを獲得するほどの才気に恵まれていた市川は、あの特訓を経て以来メキメキと地力に磨きをかけ、世代を代表すると言っても過言ではない程の選手に成長していた。遂に甲子園行きは叶わなかったものの、その実力は認められ、見事プロ入りを果たすことができた。きっと彼はこれから、プロとして活躍し何千何万もの人間に興奮と感動を与えてくれるのであろう。そんな人間の成長に微力ながら寄与できたのは、きっと一生の思い出になる。そう、たとえ今日を最後に二度と会う事が無かったとしても━━。
 そのような事を考えていた沙希に、後ろから声を掛けてくる者がいた。今まさに思いを馳せていた相手、市川守であった。
「……虹野さん、虹野さん……。さっきから話しかけてたんだけど、どうかしたのか?」
「い、市川くんっ!?」
「ええと、大丈夫か?」
「う、うん、ごめん。考え事してて……」
 沙希は市川に半身だけ向き直って応えた。直接顔を会わせるのは、夏の大会以来となる。
「あ、あの、虹野さん……」
「い、市川くん……」
 二人の間には、何となくぎこちない空気が漂っていた。あの日、ドラフト会議の日、遂に野球部に姿を見せることの無かった沙希は、その後も部の誰とも会っていない。市川たち男子部員たちは勿論、仲のいい後輩マネージャー、秋穂みのりなどを含めても━━である。
 みのりとの、ひいては野球部の皆との約束を反古にする形となったため、単純に会わせる顔が無かったという事もあるが、沙希はこの4ヶ月間、そもそも登校さえも殆どしていなかったのである。それには事情があった。
「い、市川くん……。あ、あの、日ハム入団、おめでとう。それと、ドラフト会議のパーティさ、顔出せなくてごめんね。いろいろ予定が立て込んじゃって……」
「虹野さん……。気にしなくていいんだよ、そんな事。それより俺、虹野さんに会ってどうしても言いたい事があって……。今日を逃したらもう会えないって思ってさ、ずっと探してたんだ」
「市川くん……。パーティには行けなかったけど、ニュースで見たよ。本当によかったね、夢が叶って……。いつだったか、一緒に毎晩特訓してた時の事なんて、まるで昨日の事のように思い出せるのに、もうなんだか凄い昔の事みたい……」
「虹野さん……」
「もう、私なんかじゃ手の届かない人になっちゃうんだよね……」
「そ、そんなことないよ。俺さ、虹野さんがいたから野球を投げ出さずにやってこれたんだ。虹野さんが見ていてくれたから……、応援してくれたから、応援に応えたくて三年間頑張ってきたんだよ。これからだって……」
「市川くん……」
「だから、その、俺っ……今日、どうしても虹野さんに言いたい事があって、虹野さんの事を探してたんだ。虹野さんっ、俺っ……!」
「あ……ダメっ。私に、私から言わせて……」
「虹野さん……!」
「ね……?」
「あ、ああ……」
「市川くん……。私ね、あなたに出会えて、本当によかった。あの秘密特訓をやってた頃から、あなたのことが……」
「虹野さん……!」
「好き…………だった。これからも、たとえ一生会うことが無くなっても、ずっとずっと、応援してるから……」
「ああ、俺も大好きで……って、えっ? なんだって?」
「同級生からドラ一選手が出るなんて、私も本当に凄い嬉しくって……。昨日なんて、まるで自分の事みたいに彼氏に自慢しちゃった。こんなに凄い人がいるんだよって」
「あぁ…………!? え……っ……!?」
「あっ……ごめんね。それで、市川くんは何を話しに来たんだっけ?」
「えっ……に、虹野さん……!? い、今何て……?」 
「えっ? ずっとずっと、応援してるからって……」
「そうじゃなくて! か、彼氏が云々って……!?」
「あっ……。私ね、秋くらいからお付き合いしてる人がいるの。皆には秘密だけどね」
 そう言って、沙希は悪戯っぽく舌を突き出す。しかし、その目は笑っておらず、何処かもの悲しげなものが漂っていた。
「に、虹野……さん……?」
「昨日だっていっぱいいっぱいエッチしてきたの。時々殴られちゃうけど、その後は必ず優しくしてくれるんだから」
「に、虹野さんッ!?」
「あっ……ッ……!」
 市川が沙希の両肩を掴む。ぐいと引き寄せられ、沙希は市川の正面に向き直る格好となった。その顔、市川から見て反対側となっていた部分は、額から上瞼にかけて無惨な青痣となっていた。遠くから見たならともかく、このように至近距離から見るとはっきりとわかる。唇も切れていた。
「に、虹野さん……。どうしたんだよ……! その顔っ……!? まさか、その、そいつに? その男にやられたのかっ!?」
「だ、大丈夫、気にしないで。市川くんには関係ない事よ。私が悪いの。彼の前で、別の男の人の事を誉めたりしたから……」
 この数ヶ月、沙希があまり学校に姿を見せなくなっていたのは、こうした事情もあった。
 あの日、援交オヤジに身体を売った金でシンの身柄の安全を取り戻した日。震える足で再び事務所へと赴き、100万円の入った封筒を渡したところ、ヤクザたちは意外にもすんなりとシンを解放してくれた。シンにも最初殴られた箇所以外大きな傷などは無さそうであった。そこまではよかった。しかし、沙希にとっての真の苦難は、その後から始まっていた。
 あれだけの艱難辛苦を経て助け出されたシンは、その後からは事あるごとに沙希に対し金をせびるようになっていったのである。
 ちょっとした缶ジュースや煙草代のような小銭に始まり、やがて食事代、ガソリン代ときて、もうお小遣いも貯金も無いと言うと、身体を売るように言われた。
 それを断ると殴られた。
 殴られた後に来るのは、いつだってセックスの時間だった。痛みと屈辱感で何がなんだか分からなくなっていたが、それでも乳首を吸われ、クリトリスを舐められれば濡れた。
 そうしておいて何度も何度もイカせる寸前まで性感を高めさせられては寸止めされる。そうした事を繰り返されると、やがて自身の意思とは無関係に挿入を懇願してしまうのであった。
 処女であった頃から数えきれない程の性的経験を積む中で、シンによって隅々まで開発され尽くされ、肉欲と性感を通じて支配されていたためか、 不思議とどれ程酷い扱いを受けてもシンの元から離れようという気にはなれなかった。
 いつしか沙希の日常生活は学校に通うことよりも、シンの元へ赴き、通い妻のような暮らしをすることの方が中心となっていった。どれだけ酷い扱いを受けても不思議と別れよう、逃げようという気にはならず、ズルズルと関係を継続していた。
 もしも誰か、信頼のおける第三者に対しシンとの関係について相談するようなことがあったとすれば、間違いなく『そんな男とは今すぐ別れろ』と言われていたに違いない。だがそうはならなかった。理由は2つあり、一つは沙希にはその様な事を相談できる友人がいないこと(厳密にはいたが、如月未緒とはあれから絶交状態だった)、そしてもう一つ、こちらが主因かもしれない━━それは、頭のどこかで『これ程尽くしてきたのだから、いつか報われるに違いない』という意識が働いていたためである。
 こうした心理を、経済学用語でサンクコスト効果という。過去に投資した金などのリソースが、既に回収不能となっているにも関わらず投資を継続してしまう心理効果の事であり、大きいところでは官僚や政治家が行う税金垂れ流しの無駄な事業、小さいところではビギナーズラックを忘れられない、パチンコに嵌まったギャンブル中毒人間などによく見られる心理的状態である。
 だから殴られても金をせびられても、性の排泄先のような扱いを受けても、あまつさえ別の男に抱かれる事を強要されてさえ━━沙希はいつだって従順な彼女を演じていた。セックスの際は必ずオルガズムスという名のご褒美を与えられていたのも、そうした意識に拍車をかけていた。辛い思いに耐えれば耐えた分だけ、脳内で分泌される快楽物質もひとおしなのだ。
 
「虹野さん……! そ、そいつ、どこのどいつだっ!? 酷いことを……ブッ殺してやるっ!」
 沙希の額の痣を見た市川は、一瞬でかあっと怒り、吠えた。マウンド上でさえも見たことの無い激昂ぶりであった。
 本当に人でも殺しそうな剣幕を見て、沙希は市川の腕にしがみつき、必死で宥めた。
「だ、ダメっ!! 絶対にダメっ! 校外の人だから、市川くんの知らない人よっ。それに、市川くんには未来があるんだからっ! そんな事したら絶対にダメよっ!」
「虹野さん……! でも、でも、そんなやつに……!」
「違うの、私が悪いの。本当に大丈夫だから……。ほら、私ね、耐えるのは得意なのよ。根性には自信あるんだから。それにね、ケンカした後にエッチするとね、いつもよりスッゴく興奮するんだって。彼氏が言ってたわ」
「虹野さん……」
「それじゃあね、私、そろそろ行かないと。市川くんも、これからきっと、いい相手が見つかるわよ。市川くんはこれからプロとしていっぱい活躍してスーパースターになるんだから、モデルだって女子アナだって、タレントだって、後……スッチーだってナースだってさ、好きなだけ選び放題なんじゃない? あ、でもあんまり新人の頃から遊んでばっかりもいられないかな。確か一、二年目の新人選手って、皆選手寮に入らないといけないんだよね?」 
「虹野さん、俺……おれっ……! それでも、それでも虹野さんの事がっ……!」
 沙希は市川の唇に人差し指を当てると、目を閉じて無言で首を横に振った。
「……んん……っ!?」
「それ以上、言わないで……。市川くんには、必ずいい人が見つかるよ。私が保証するわ」
「んん……虹野……さん……」
「だから私みたいなどうしようもないヤリマン女の事なんて、気にしてちゃダメだよ。……あ、私、もうそろそろ行かないと。彼氏が呼んでるの……」
「に、虹野さんっ!」
「じゃあね。さよなら、市川くん!」
 沙希は、逃げるように市川の元から駆け出した。その目にはうっすらと涙が浮かんでおり、涙と青痣でくしゃくしゃになった顔をを誰にも見られないよう、両手で顔を覆って一目散に駆けていった。
 後に残された市川は、一人呆然と立ちすくみ、へたりとその場に座り込んだ。あの沙希が既に彼氏持ち……。しかもあろうことか、処女までとっくに捨てている。そんな事実をどうしても受け止めきれず、追いかけようにも金縛りにでもあったかのように身体がピクリとも動かなかったのである。生来鈍感で奥手な事もあってか、沙希の涙に気付くことは無かった。

 一方、顔を覆い隠しながら走り去っていった沙希は、そのまま逃げるように学校を後にしようとしていたところ、校門を出てすぐの辺りで別の女子生徒にぶつかった。
「きゃっ!?」
「ご、ごめんなさい……よそ見してて……」
「せ、先輩!? 虹野先輩!?」
 涙を拭きつつ顔を上げる。沙希がぶつかったその相手は、野球部後輩マネージャーの秋穂みのりであった。その場所が丁度大樹の影となっていたためか、幸いにも額の痣は気付かれていないようであった。
「あっ……、みのりちゃん!?」
 みのりと顔を合わせるのも、あの秋の日、ドラフト会議のパーティの約束をした日以来である。結局行けず終いとなって以後は、メールや電話でのやりとりさえもしていなかった。ある意味、沙希にとっては市川以上に顔を会わせるのが憚られる、顔向けが出来ない相手である。先輩マネージャーとしてみのりからは慕われていたが、このような仕打ちをしてしまったとあっては、嫌われ、憎まれてしまっていても仕方がない。沙希はそのように考えた。続けてみのりから発せられる言葉がどのような罵倒であっても、自身の罪として受け止めよう、そうした覚悟を持って顔をあげた。
  しかし、みのりから告げられた言葉は予想外のものであった。
「先輩っ、探してたんですよ。ご卒業おめでとうございますっ!」
「え……。み、みのりちゃん。私、私……あなたとの約束、破っちゃって……」
「そんなこと、気にしなくていいんですよっ。それより先輩、市川先輩の事見ませんでしたか?」
「あー、い、市川くん……ね。さっき向こうの中庭の方で会って、少し話したわ」
「そ、それでっ!? それでどういう事をお話したんですかっ!?」
「え、ええと……、プロに行っても頑張ってねって、そんな感じかしら……?」
「そ、それだけ!? それだけですか?」
「えっ……。離れても、ずっと応援してるからって、そのくらいよ……」
「どうしてっ!? 虹野先輩は、市川先輩の事が好きなんじゃなかったんですかっ!」
「み、みのりちゃん……!」
「私、先輩たちの事、ずっと見てました。一昨年の夏、神社で二人きりで秘密特訓してたこととか、こっそり見てたんです。それに先輩、練習中なんかずっと市川先輩のスポーツドリンクを握り締めて応援してるし、マウンドから戻ってきたら必ずいの一番にドリンク渡してたこと、市川先輩も、そんな虹野先輩を見る目だけは他の人に向けるそれとは全然違ってて、いつもの 二割増しで直球のキレが増してるところとか……。二人は絶対お似合いのカップルになれる筈なんですっ。どうして付き合わないんですかっ! 何もないまま卒業しちゃうんですかっ? もう会えないんですよっ!?」
「みのりちゃん……。だめよ、だめなのよ。私、市川くんと付き合う事は出来ないわ」
「どうしてですかっ!?」
「私ね、彼氏がいるの。市川くんじゃあなく、別の人。学校の外。処女だってあげちゃったのよ、その人に……」
「だからって……そんな……!」
「彼とは毎日、いっぱいいっぱいセックスしてるの。今日だってね、卒業式も終わったし、これから彼のお家に行ってご飯作ってあげて、それからエッチするのよ」
「に、虹野先輩……! そんな、そんなの……不潔ですっ!」
「みのりちゃん……。みのりちゃんにも、将来はきっとわかるわ。恋をして、彼氏が出来てね、太い腕に抱き締められて……それで男の人のアレで体の中心の、一番深いところを貫かれるとね、女の子って変わるの。心も体もオンナに変えられちゃうの。ああ私、もう……これなしではいられないんだなぁ……って思えてくるの。身体の奥から熱い大波が押し寄せてきて、ちっぽけな私は全身が飲み込まれてずぶ濡れになっちゃうの。頭が真っ白になって、凄く大きな声を上げて、いやらしく舌なんか突き出しちゃったりなんかして、身体の芯から熱く燃え上がっちゃうのよ、それで……」
 そこまで言ったところで、頬に鈍い痛みが走った。みのりが沙希の頬を張ったからだ。
「先輩……先輩っ……。私、虹野先輩がそんな人だったなんて思ってませんでした……。先輩はもっと一途で純粋で……、私にとって憧れの、本当に女神みたいな人だって思ってたのにっ……。そんなの最低っ、最低ですよっ!」
 手を出したみのりの方が嗚咽を漏らし、激しく泣きじゃくっていた。張られた頬がジンジンと痛む。
 殴られた沙希はというと、こんな時にあってさえシンとのセックスの事を思い返していた。頬を張られる痛みと、セックスの快楽とが脳内での記憶領域において密接に結び付けあっているためだ。そんな浅ましい人間へと変えられ━━いや、自身の意志がなかったなどとどうして言えようか。自分が最早、セックスの事で頭がいっぱいの人間へと変わってしまったという事実を自覚し、沙希は空恐ろしくなった。
「さよなら、みのりちゃん……。みのりちゃんも市川くんも、こんな私の事なんて、もう忘れた方がいいよ……」
 こうして沙希は、きらめき高校を後にした。
 かつて運動部を中心に『運動部のアイドル』等と称えられ絶大な人気を誇っていた少女は、 仲の良い親友、かつて仄かな想いを寄せていたエース、自身を慕う可愛い後輩、そのいずれからも背を向け独り、ならず者の彼氏の元へ身を寄せていくのであった。

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