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7.桜は咲かず

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作者:しょうきち

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 三月。長かった高校生活も終わりを迎え、この日はきらめき高校卒業式が執り行われていた。
 卒業式が特別な日である事は古今東西誰にとっても変わりないが、ここきらめき高校にあっては、殊更に特別な意味を持つ。
 『卒業の日、校庭のはずれにある大きな樹の下で、女の子からの告白で生まれたカップルは永遠に幸せになれる』という、同校に通う生徒にあっては誰もが知る、そして特に女子ならば誰もが憧れる伝説がある。
 この日は朝から、ある種異様な空気が流れていた。
 多数の男子が目当ての女子から伝説の樹の下へ呼び出されるのを期待して朝からそわそわしている。だが、女子はそれ以上に神経を尖らせていた。
 この日、伝説の樹の下で告白を敢行したいと考える女子は、目当ての男子の机や下駄箱などに呼び出しの手紙を忍ばせる必要がある。まずこれを、絶対に他人にバレないように行わなくてはならない。
 手紙を仕込む瞬間を誰かに見られるということは「今から私は誰彼に告白しますよ」と宣言しているも同然であり、仮に朝誰かにバレたら告白のタイミングである卒業式終了後には何十、いや、何百人もの人間へ情報が伝わっているであろう。
 衆人監視の元で告白出来る鋼のメンタルの持ち主であればそれでも構わないかもしれない。だが、多くの女子はそれほど強くない。そもそもそれ程までにメンタルが強いのであれば、伝説に則って告白などしなくても普通に告白し、交際できているのである。
 より重要な問題もある。
 そもそも伝説の樹の下で告白したからと言って、意中の男子がそれを受け入れるとは限らないのである。
 話したことも無いような女子が冗談半分で告白してきたり、ルックスもしくは性格があまりよろしくない女子からの告白であれば、うまくいく可能性は低い。
 そうではない場合、健気で可愛らしい女子が勇気を振り絞って告白したにも関わらず無慈悲にも振られてしまうケースがある。
 一般的に女子が告白したいと考える男子は、所謂スクールカーストの上位層に集中しており(残酷だが、生物学的な牝の本能と言える)、そうした男子には既に相手がいることが珍しくない。
 相手がいるにも関わらず告白をOKするような屑男も一定数存在しているが(不幸な事に、そうした男の方がよりモテている事が多い)こうした種類の男と付き合って幸せになれるかどうかについては論を待たない。
 まっとうな男であれば二股はできる限り避けようとするだろう。
 つまり伝説の樹にまつわる伝説とは『意中の(勿論、それなりに魅力を備えた)男子がフリーであり、最低限告白すれば脈がある程度には親密であり、高校生活三年間の中では正式交際に至らなかったが最後の一押しを伝説の樹に後押ししてほしい女子』のためのものなのである。この条件に当てはまるケースは、実際のところかなり絞られる。

 伝説の樹の告白にまつわる話が多くの女子生徒の憧れである事は先に述べたとおりだが、実際に伝説に倣って告白をしようとする女子はほとんど稀である。
 だが、今年の卒業式においては、男子達の憧れである学年一の美少女がこの稀なケースの当事者となろうとしている。
 伝説の樹の下で想い人を待つ藤崎詩織は、この日は朝から珍しく緊張していた。
 先日のマラソン大会。いきなりフルマラソンにチャレンジするから見ていてくれなどと言い出した公人を見たときには呆れた目で見ていたが、苦しみ、 傷つきながらも見事完走までこぎつけた姿を見て、不覚にもどきりとした自分がいた。
 大学受験も終わり一息つき、この三年間を振り返ってみると、いつも公人が近くにいた。
 いや、もっと昔から、それこそ幼稚園のころから異性と言われて意識するのは、いつだって公人である。
 マラソン大会の日にその事実を改めて自覚したとき、詩織はこれまでの人生の区切りとして、公人への告白を密かに決意していた。
 朝方、誰よりも早く登校してきた詩織は、誰もいない教室で公人の机に手紙を一通忍ばせた。
 内容は『卒業式の後、伝説の樹の下で待ってます』と、これだけだ。
 もしかしたら、公人なら筆跡だけで自分と気付いてしまうかもしれない。からかわれてしまうかもしれない。
 でも、それでも良かった。これまでもそうだったように大学でも、いや、これからもずっと、喧嘩したり冗談を言い合ったりしながら公人と過ごしていきたいのだ。それが近頃詩織の中に芽生えていた、偽らざる気持ちであった。

 
 公人が来るのを待ちわびていると、伝説の樹の下にやってくる人影があった。
 見上げるとその人影は公人ではなく、小柄なロングヘアの少女、親友の美樹原愛であった。
「め、メグ……? どうしてあなたが来るの? 悪いんだけど、暫くどこかで待っててくれる?」
「あっ、あの、詩織ちゃん……。違うの。わたし、わたし……!」
「あ、ひょっとして、メグも誰かに告白しようとしているの……? うふふ。メグも何だかんだで好きな人が出来たりしてたのね。思い出すわね、一年生の頃なんて、ずっと男の人が苦手ですって言ってたのにね」
 詩織はきょとんとしている。いつも通りの自然体だ。今日だけはそれが愛の心を粟立たせていた。
「詩織ちゃん……。そ、その……、わたし……ごめんなさい、実は……」
 愛は涙目となっていた。
 詩織と顔を会わせるのは数週間ぶりで、特に公人と肉体関係を持ってしまってからは初めての邂逅である。
 公人に抱かれたことは誰にも話していない。勿論、詩織にも。
 詩織の顔を見ると、歪んだ優越感と申し訳なさが半々くらいで胸に去来する。面を上げ、詩織の顔を正面から見ることがどうしてもできない。
 本当は公人さんに処女をあげちゃったのと声を大にして言いたかった。しかしそれは同時に、一度きりの過ちでしかなく、もう終わった関係である事を自白するに等しい。それは、女として芽生えたちっぽけな自信を道端に捨て去るに等しかった。
 そして、その事を詩織に告白した瞬間、詩織との友情は音を立てて崩れ、二度と修復されることは無いであろう事もよく理解していた。
 愛は迷いながらここに来ていた。直前まで一人でこっそり下校しようか考えていた程だ。
 一縷の望みに掛け、ダメ元で公人に告白しようか、 それとも綺麗に諦めようかと悩んでいた愛は、早朝、偶然にも公人の机に手紙を忍ばせる詩織を見かけてしまった。
(詩織ちゃん、たぶん今日、公人さんに告白するのね……)
 公人の気持ちは先日聞いてしまっていた。
 伝説の樹の下で詩織が告白したら、公人に断る理由など欠片もないであろう。
 だが、愛にはどうしても公人の事を諦められなかった。たとえ親友である詩織の告白に横槍を入れることになっても。
 その気持ちが、どちらかというと控えめで引っ込み思案な愛に決心を抱かせていた。
 気づけば伝説の樹へと足を向けていた。
 他の全てを失っても、公人との関係を続ける蜘蛛の糸より細い可能性に掛けたかった。
「メグ……? 一体どうしたの……?」
 詩織が心配そうな顔で覗きこんでくる。
(詩織ちゃん……ごめん……わたし、どうしても公人さんの事……、うぅ……)
 苦しい。
 喉がの奥がカラカラと痛み、言葉を発するのがひどく辛かった。過呼吸になりそうになりながら、やっとのことで愛は詩織に公人との関係を告白する決心を固めた。
「し、し、詩織ちゃん……。わ、わた、わたし……公人さんと……公人さんのこと……」 
 そこに公人がやってきた。
 愛と詩織の目線が、一瞬で公人へと向けられていた。
「あ……っ!」
「よーう、詩織、それに愛ちゃん」
「あら、公人。やっと来てくれたのね。あの……今日呼び出したのは……ひょっとしたら分かってくれてるかもしれないけど……」
「な、な……公人さん……! わたし、わたし……!」
「ちょ、ちょっと待ってくれっ! 二人同時に言われても何の事か聞き取れねえよっ!」
「め、メグ……? わたし、ちょっと公人と話があるのよ。先に話してもいいかしら?」
 愛は無言で、ただじっと目に涙を浮かべていた。ただならぬ決意を感じ取った詩織が、心配そうな目で見つめてくる。
「め、メグ……?」
「詩織ちゃん、ごめん。ごめんなさい。わたし、公人さんの事、どうしても……どうしても……。うっく……ひっく……」
 愛は既にボロボロと涙をこぼしていた。
「愛ちゃん、その……、泣かないでくれよ」
 公人は愛の涙を拭った。その目には、一度肉体関係を結んだ者特有のどうしても捨てられない慈悲心が浮かび上がっていた。
「な、公人……?  なんか、随分メグと親しげじゃない……? まさかメグの事、手篭めにしちゃってたりしないでしょうね?」 
「えっ……!」「なにっ……!」
 愛と公人の顔が、二人同時に青ざめた。
 詩織としてはカマをかけたつもりすらなく、天地がひっくり返っても無さそうな事のたとえとして言ったつもりであった。しかし、二人の反応が答え合わせとなっていた。
 図らずも既成事実を突きつけられる格好である。
「公人……まさかメグに何かしたのっ!? あ、あなたって人はっ……!」
「し、詩織……お、俺……」
「公人っ!」
「ち、違うの詩織ちゃん……あっ!?」
 反射的に、詩織は手を上げていた。平手を公人に向かって振り下ろす。
 だが、平手は空を切っていた。
 何故かと言うと、公人が詩織に向かって深々と頭を下げていたからである。拍子抜けした詩織は、一瞬で毒気を抜かれていた。
「ど、どうしたって言うのよ……」
「すまん詩織っ、そして愛ちゃんも。先に言っちまうけど、今は告白されても付き合う事が出来ないんだよおっ!」
「ど、どうしてよっ!?」
「なぜなら……」
「「なぜなら……?」」
「すまん。一流大学、落ちちまったんだ。俺、四月からは浪人生なんだ……」 
「そ、そんな事……気にしなくたっていいんじゃないの……?」
 愛もぶんぶんと首を縦に振っていた。
「いや、ダメだ。うちの親も結構お冠でさ、浪人なんてしながら女と付き合ってるのがバレたら大目玉喰らっちまう。そうなったら逆に迷惑かけることになる。でもさ、俺、一年後は必ず大学に、一流大学に入ってみせるよ。それまでに本当に好きなのは誰なのか、付き合うのはどっちなのか答えを出して見せるから、それまで待っていてほしいんだよ」
 公人はもう一度、二人に向かって深々と頭を下げた。
「バカね……。公人、あなた、ほんとにバカよ……。でもね、本当にどうしようもないくらいバカなのは、そんなあなたの事が好きで好きでしょうがない私ね……」
「し、詩織……、ありがとな」
「あ、あの……、私、待ってますから……。公人さんのこと……」
  愛が発したのは蚊の鳴くような声であった。
「じゃあ一年後、またここで会いましょう。メグ。私たちも、正々堂々女の勝負よ。それまでは会うのを我慢する。いいわね?」
「う、うん……」
 既に浅ましい程に女の武器を使用済みであるという事は口にできなかったが、ひとまず公人との関係について話すのが有耶無耶になった事に、愛は内心ため息をついていた。
「詩織、愛ちゃん、これからどうする?」
「今日はとりあえず帰るわよ。なんだか普通に告白するより疲れちゃったわ」
「私も……、お母さんが家で待ってるので……」
「じゃあ、俺もうちに帰るかな。あーあ、畜生。本当はこんなはずじゃなかったんだけどな」
「じゃあ、今日は三人で帰りましょ? せっかく同じ学区なんだし」
「そうだな、帰ろうか」
「あんっ、詩織ちゃん、公人さん、待ってえ」
 詩織が長い脚を翻しながら、桜並木をスタスタと歩いてゆく。公人はそんな詩織のご機嫌をとるように歩を進める。
 愛はそんな二人に置いていかれないように、必死で早足でついて行くのであった。

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