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14.すぎた日々

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作者:ブルー

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 月曜日の朝、玄関から出てきた詩織はいつもと変わらない完璧な身だしなみでいつもと変わらない笑顔をしていた。一見すると何も変わっていないように見えた。ありふれた日常の1ページだ。
「めずらしく遅かったな」
「ちょっと英語のノートを探してて。行きましょう」
 詩織はさっさと歩き出した。俺はそのすぐ後ろをついて歩いた。
 背中で赤い髪に隠れるようにセーラー服の襟が揺れている。
 歩きながら「今日は夕方から雨が降るらしいわよ。傘は持ってきた、公人」と話しかけてきた。
「ほんとに降るんだか」
「天気予報見なかったの?」
「見てない」
「しょうがないわねえ。私が貸してあげるわよ」
「いいよ、べつに」
「びしょ濡れで帰るつもり?」
「今日はやけに優しいな」
「そう? いつもと変わらないわよ」
「……どうだか」
「ねぇ、寝てないの? なんだか声が眠いみたい」
「誰かさんのおかげでな」
「なぁに。まるで私のせいみたいに聞こえるわよ」
「みたいじゃなくて――」
「ダメよ。授業中に居眠りしてたら成績が下がるんだから」
 人ごとみたいな詩織の態度にそれまで抑えていた感情が沸々と沸いてきた。
「あのさ、詩織」
「どうしたの」
 足を止めた詩織が振り向いた。
 両手で学生鞄を持って心配そうに俺を見ている。そういう何もかもがいまはウソっぽく思えてくる。
 ちょうど歩道橋に差し掛かった所で、朝の通勤ラッシュで車がたくさん行き交っていた。
 俺は深い息を吐くように「昨日、何時に帰ったんだよ」と尋ねた。
「どうしたのよ、急に」
「急にじゃないだろ。人がどれだけ心配してたか知ってるのかよ」
「A子と会って懐かしくって、それに携帯で遅くなるって言ったでしょ」
「中学の奴に連絡してA子の電話番号を教えてもらったけど、予備校にも行ってないし詩織とも会ってないって教えてくれたぜ」
「えっ……」
「詩織。どこで何してたんだよ、夜中まで」
「なにって、べつに……」
「槍地先輩とラブホテルで会ってたんだろ」
 俺の一言に詩織の表情が固まった。
 それですべてがわかった。詩織が最後までセックスされたことを。思えば今日に限って詩織の歩き方がどこかぎこちなかった。
「突然なにを言うのよ、公人。変よ」
「変なのは詩織だろ」
「私のどこが……」
「やましいことがないなら俺の目を見ろよ」
「急に大きな声を出さないでよ。怖いじゃない」
「詩織が事実を話そうとしないからだろ」
「そうだ、あの後志望校の受験対策について特別講義を受けてて遅くなったのよ」
「またウソか」
「ウソじゃないわよ」
 詩織はそこで議論を打ち切るように背中を向けた。
 俺を置いて1人ですたすたと歩きはじめた。やはりどこか体をかばうような歩き方だ。
「待てよ、詩織」
「……」
「待てっていってるだろ」
 追いかけて詩織の肩を掴んだ。
「痛いわね」
「最後まで俺の話を聞けよ」
「もう説明したでしょ」
「納得できるかよ、あんなウソ」
 詩織は睨み付けるように俺を見ていた。
 自分だけの神聖な場所を土足で踏み荒らされたみたいに怒っている。
 俺も負けないように詩織の目を見返した。
「先輩とどこで何してたか言ってみろよ」
「公人に私のプライバシーをすべて話さないといけない義務でもあるの」
「ほらな、やっぱり」
「公人が勝手にそう思い込んでるだけでしょ」
「俺に言えないようなことをしてたんだろ。裸で、恥ずかしい格好して」
「しつこいわね」
「祭りの日だって、俺にウソをついて神社の裏で先輩にフェラしてたのを知ってるんだぜ」
「下品だわ」
「もっと下品なことしたくせによ。ラブホテルで」
「いいかげんにして!」
「またそうやってごまかすつもりか」
「頭がおかしいんじゃない」
「こっちの台詞だよ。先輩は地元の暴走族グループとも繋がってるようなクズだぞ。まともに働いてないだろ。先輩と付き合った女子はみんな妊娠させられるって噂知らないのか」
「最低ね。人の悪口を言うなんて」
「事実だろ、全部」
「事実ならなんでも言ってもいいと思ってるのね」
「ああ、思うね。クズのクズだ」
「だからあなたはいつまでも幼稚なのよ」
「はあ?」
「だいたい私がどこで誰と付き合っても自由でしょ。公人には関係ないじゃない」
「関係なくないだろ」
「幼なじみだから? 笑うわ。たまたま家が隣なだけじゃない。あーあ、あなたみたいな自分勝手な人が幼なじみでがっかりした」
「なっ!?」
「わかったら手を放してよ」
 深い井戸の底から聞こえたような声をしていた。
 その時ようやく、詩織の瞳に薄らと涙がにじんでいることに気づいた。
 俺は詩織の肩を掴んでいた右手を放した。
「ごめん。俺、詩織を怒らせるつもりは……」
「ええ、公人の言う通りよ。私、先輩に抱かれたわよ」
「し、詩織……」
「何回もエッチされて、初めてなのに私すごく感じちゃった。私も自然と恥ずかしい声が出たわ。先輩は私の中にいっぱい射精したのよ。これで満足でしょ」
 それだけ一気にまくしたてるように詩織はしゃべった。
 いまにも泣き出しそうなのをギリギリのところで踏みとどまっている。
 そのまま朝の喧噪に紛れるように通学路を走り出した。

 これが俺が詩織とまともに口をきいた最後の会話だ。
 それ以来、廊下ですれ違っても詩織は俺のことを徹底的に無視をするようになった。教室でも目すら合わせてくれない。
 部屋の窓のカーテンは閉まったままだ。時折、夜になると詩織の家の前に黒のワンボックスカーが停まって、カーテンに詩織と先輩の影が写る。
 俺はいまでも涙をためて怒った詩織の顔が忘れられない。
 2学期になり学校では詩織が槍地先輩と付き合っているという噂がまたたく間に広まった。まるで誰かが意図的に流したように。
 この間、好雄に「今度、夕子と鏡さんに声をかけるからお前も来いよ」と誘われた。
 俺は悪いけどやめとくよと断った。季節が変わったとしてもそういう気分になれるはずがない。
「まだ詩織ちゃんのことが忘れられないのか」
「ああ……」
「まあ、無理もないか。ほら、これでも見て元気だせよ。2年の文化祭の時に偶然撮った奴だけどさ」
 好雄が俺の肩を叩いて一枚の写真をくれた。
 そこには、先輩と付き合う前の詩織が制服姿で伝説の樹の横に立って、こちらににっこりと微笑んでいる姿が写っていた。
 涼しい風が吹いて、まるで花吹雪が舞ってるみたいに片手で流れる長い髪を押さえていた。
『ねえ、公人。伝説の樹の話を知ってる? 卒業式の日に伝説の樹の下で女の子から告白して生まれたカップルは永遠に幸せになれるのよ。ねえ、公人、聞いてる?』
 写真の中の詩織が俺に語りかけているような気がした。いまは懐かしくて遠い思い出だ。
 俺は思わずその写真をグッと握りしめた。

 おわり

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