作者:ブルー
親の仕事の都合で突然の転校が決まって、一ヶ月--。
終業式の後、木地本が発起人になって俺のためにささやかな送別会を開いてくれていた。
みんな本当にいい奴ばかりだ。
「森下さんの姿が見えないけど」
俺は木地本に尋ねた。
「あいつならそこに……おかしいな、さっきまでいたんだけどな」
木地本は教室内の顔ぶれを見ていった。
「どこへ行ったんだ? おまえ探して来いよ」
「……すぐ戻ってくるよ、きっと」
「おまえ、それでいいのか?」
「えっ……」
「いいのかって聞いてるんだよ」
「おれっ、探しに行ってくるっ!」
「あたりまえだ、さっさと行けっ」
「木地本……ありがとう」
教室を出て、廊下を見回した。
(きっと屋上だ!)
俺は屋上への階段を駆け足で登った。
屋上のドアを開けると、あたりはすでに夕暮れ色に染まっていた。
海岸線に沿って細長く伸びた町並み。その先の水平線を眺めるようにポツンと人影がある。
見慣れた後ろ姿。ポニーテールの黒髪が揺れていた。
「森下さんっ!」
背中に向かって呼んだ。
振り向いた森下さんはハッとした表情をしていた。
「小笠原くん……」
青春映画に出てくる、快活なヒロインのような整った顔立ち。青葉台高校の女子の制服は白と黒のセーラー服で、胸元には赤いスカーフがある。
森下茜さんは俺と同じ2年生の女子生徒だ。バスケ部のエースで、誰とでもすぐに打ち解ける明るい性格もあり、男子にとても人気がある。
俺も入学してすぐに見かけて以来、森下さんのことを密かに想っていた。
ただ、手の届かない高嶺の花だとあきらめて、転校が決まるまで話しかける勇気すらもてずにいた。
「姿が見えないから……探したよ」
「……」
「みんなのところへ戻ろうよ」
森下さんは俺の声が聞こえないみたいに視線を落としていた。
左手を胸のところに置いて、スカーフに触ろうか悩むみたいに指先を動かしていた。
風にかき消されそうな声で「あなたは……わたしのこと……どう思ってる?」と言った。
「えっ?」
思わず聞き返してしまった。
「わたしのこと……嫌い?」
言葉を一つ一つ慎重に選んでいるのが伝わる。
森下さんの頬がほんのりと夕日色に染まった気がした。
こんな森下さんはいままで見たことがなかった。
「そ、それは……。俺は……俺は森下さんのこと……でも……」
「ごめんね、困らせて……」
森下さんが悲しそうに目を伏せた。
辺りが急に静かになった気がした。森下さんのポニーテールだけがやわらかになびいていた。
「わたし……ずっと決めてた。もう、誰も好きにならないって……他の人を好きになったらお兄ちゃんを忘れてしまいそうだから……」
それは森下さんが子供の頃の話だ。
交通事故に遭いそうになった森下さんをかばって親戚のお兄さんが身代わりになったのだ。
それ以来、森下さんはトラウマを抱えていた。
「交通事故で亡くなった……」
「うん……」
「そうか……」
「でもね……。わたし……あなたが転校するって聞いて……もう、いっしょにいられないんだって思ったら……涙がいっぱいこぼれてきて……」
俺は黙って聞いていた、森下さんの言葉を。
いつのまにか彼女の瞳にはこぼれそうな涙が溢れていた。
「わかったの……あなたが本当に好きなんだって……」
「森下さん……」
「ごめん、また困らせちゃったね」
「……森下さん、俺」
俺の心臓が信じられないぐらい鼓動を打つ。
いま言わなければ一生後悔するという確信があった。
「俺、森下さんが好きだ。……知り合うずっと前から、君のこと、好きだったんだ。
けど、言えなくて……一日、一日、先延ばしにして……ごめん」
「ううん、いいの……」
森下さんの澄んだ瞳がまっすぐに俺を見詰めていた。
泣きそうなのにこみ上げてくる嬉しさが入り交じった複雑な様子だ。
「うれしい……最後になっちゃったけど、あなたの気持ちがわかって……お互いの気持ちが同じだってわかって」
森下さんは気丈に笑った。
こぼれた涙が頬を伝う。
はじめて森下さんが華奢な女の子に見えた。
出来る事ならいますぐに森下さんを抱きしめたい思った。
「最後じゃないよ」
「えっ」
「いまはスマホもあるし、卒業したらここへ戻ってくる」
「本当?」
「約束するよ。……だから、待っててくれないか?」
「もちろんっ! わたし、待ってるわっ!!」
まるで俺の言葉を待っていたように森下さんは飛び込んできた。
ポニーテールが揺れて、森下さんの重みとぬくもりが伝わる。
女の子のいい匂いがした。
「ずっとずっと待ってる……あなたが迎えに来てくれるのを」
こうして俺と森下さんの遠距離恋愛ははじまった。
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