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1.月見草の少女

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作者:しょうきち

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 数年前に往生を遂げた往年の大プロ野球選手は言った。曰く『あいつやそいつが太陽を受けて輝く向日葵なら、俺は日本海にひっそりと咲く月見草』と。
 女子の世界だってそうだ。
 世の中の女子は、大別すると二種類の人種に分けられる。
 太陽を総身に受けて誰からも愛され光輝く向日葵のような女子がいれば、その影で顧みられる事も無く、月夜の下でひっそりと咲く月見草のような女子もいる。
 美樹原愛は、そのどちらかと問われたら間違いなく月見草寄りの女子高生であった。
 栗色の姫カットのロングヘア。小柄な身体に細い手足。体型はまだまだ成長中で凹凸に乏しく、ぽわぽわとした大きな瞳と相まって、美人と言うよりは可愛らしいといった表現が相応しい。
 よく言えば大人しいお姫様のようなタイプだが、悪く言えば消極的で引っ込み思案なタイプであり、勉強もスポーツもあまり得意な方ではない。 他人と何かを競い、争い合い、勝利を手にする━━と言うか、人前に、勝負の場に立つ事自体が苦手なタイプ、それが美樹原愛であった。
「メグはとっても可愛いんだから、変な男の人なんかについて行っちゃダメよ。もし誰かに声を掛けられたりしたなら、いつだって私に話してね?」
 そう言うのは同級生で親友の藤崎詩織だ。
 詩織は成績優秀、スポーツ万能、ファッションセンスも社交性も人並み以上、スタイルも容姿も学内一と評判だ。小柄で童顔な愛とは対照的な存在であり、太陽を受けて燦々と輝く、正に向日葵のような美少女である。
 中学時代から友人をやっているが、いつも人の影に隠れて、他人の顔色を伺っているような愛に対し、いつでも誰に対しても言いたい事ははっきりと言い、その有り余る存在感で他人を惹き付けずにはいられない存在、それが詩織であった。
 愛は精神的には、そんな詩織に依存していたと言えなくもない。
 大は卒業後の進路の事から、小はお昼に食べるランチメニューの事まで、事あるごとに「詩織ちゃん、私どうしたらいい?」と聞いてみるのが口癖だった。
 そんな消極的な愛の心境に、転機が訪れた。高校三年、一学期の出来事である。
 それは、期末テストを終えて夏休みを控えたある日の事であった。
 昼休み。小さな口でゆっくり目にお弁当を食べ終え、愛はいつものように詩織と共に女子トークに花を咲かせていた。
 話題と言えば昨日の歌番組で披露された人気男性アイドルグループの新曲の事だったり、そのアイドルが出演している連続ドラマの話だったりもする。しかし、多くの女子がそうであるように、最も盛り上がる話題はもっと身近な、誰と誰が惚れた腫れた付き合ったという恋愛に関する話である。
 詩織はモテる。物凄くモテる。
 きらめき高校に入学してから男子に告白された回数など、余裕でダース単位で数えられるであろう。それも生徒会長や運動部のエース、一流大学合格確実と言われる成績優秀者といったスクールカースト上位の男子からよく声を掛けられる。
 しかし、詩織はそうした男達を一人残らず端から袖にしていた。
 男子からの下校の誘いを『一緒に帰って、友達に噂とかされると恥ずかしいし』などと言って断る光景を、愛は何度見させられたか分からない。
(わたし、そんな陰口叩いたりなんてしないんだけどなぁ……)
 しつこく言い寄る男子の誘いを断るための方便に使われるのもあまりいい気はしなかったが、それ以上にもったいないな、と思う。
 あまり目立つタイプではない愛に声を掛けてくる男子などは中々おらず、かと言って引っ込み思案な愛にとっては、気になる男子に自分から声を掛けるなどは途轍もなく高いハードルのように感じられる。
 愛も年頃の女子らしく恋愛沙汰には興味津々ではあったものの、これでは異性と付き合うなど、遥か彼方の世界の話であった。
 詩織だって恋愛への憧れは愛にも負けないくらい持っている筈なのだ。それなのに少なくとも愛の知る限り、詩織は一度たりとも男子と下校したりデートしたりといった交際をしたことがない。
「また断っちゃったの……? 悪くなさそうな人なら、試しに誰かと付き合ってみたらいいのに……」
 一度真面目な顔をして、そのような事を話してみたことがある。
「うん……。でもやっぱり、初めて付き合う人はね、勉強もスポーツも出来て、話してて楽しくて、ファッションセンスがあって見た目格好良くて、それでいて私の事をいつだって一番大事に思ってくれる人じゃないと……。何処かにそんな人、いないかしら……」
(いないよっ!)
 愛は心の中で声を大にして突っ込んでいた。
 詩織の理想は、ある意味では女子なら誰でも持っている想いの最大公約数と言えなくもない。しかし、他でもない本人のスペックに一片の隙もない詩織である。人間誰しも、この点は○だが、あの点は×といった、美点欠点入り交じっているのが一般的である。その理想凡てを兼ね備えた人間などそう簡単には見つからない。そのハードルの高さは、誰も登頂できない断崖絶壁のように男子の前に立ちはだかっているに違いないのだ。
(どうせ断っちゃうのなら、一人くらい紹介してくれないかな……)
 心密かに恋愛に憧れを抱く愛は、そんな詩織をいつだって羨ましく思っていた。決して口に出す事は無かったが。
 
「あ、あれれ……?」
 教室内を見回す。
 いつの間にか、教室内にいるクラスメイトがまばらになっている事に気がついた。
「詩織ちゃん……。何だかクラスの皆がいなくなっちゃったみたいなんだけど、次の授業って……何だっけ?」
「あっ、そうだわ。メグ、次は化学Ⅱよ。教室移動があるわ。私先に行ってるわね。先生から実験の準備をしておくように言われてるの」
「あっ、待って、詩織ちゃん……」
 言い終えるや否や、一瞬で教科書や筆記用具を纏め、詩織は風のように教室を飛び出ていった。愛は詩織を追いかけようと慌てて席を立った。しかし、その際に椅子の足に足を取られ、バランスを崩して転びそうになる。
「きゃっ!?」
「おおっと、大丈夫?」
 正面から倒れこみそうになった愛を、通り掛かった男子生徒の腕が支えていた。横から愛の身体を抱き止める格好である。
「あっ……!? す、すっ、すみません……」
 その男子生徒は男性としては平均的な体格であったが、小柄で細身な女子である愛からすれば、何か別の生き物であるかのように大きく、分厚く、そして重量感があった。
 転びそうなところをすんでのところで助けてもらった愛であったが、反射的にその手を振り払っていた。
「あ、ちょっと……!」
「ごっ、ごめんなさいっ!」
 愛はいつものこのような調子であった。いけないとは思っていても、男子に触れられると反射的に振り払ってしまう。男性恐怖症と言っても過言ではないレベルである。
(どうして『ありがとう』って言えないんだろ……。でも……、でも……私……)
 自己嫌悪で、胸がずきりと痛む。
 愛は顔を真っ赤にしてうつむいていた。気恥ずかしさと申し訳なさで、顔を向けていられなかった。
 愛はその男子生徒には何も言わず、踵を返し、詩織を追って走り出そうとした。しかし、周囲が見えていなかった所為か、またしてもずるりと足を滑らせた。 
「あ……うっ!?」
「うわ危ないッ!」
 転倒する寸前で、愛は再びその男子によって助けられていた。今度は後ろから手を回されて、身体を抱き抱えられていた。
「ふぅ……。危なかったね」
「ご、ごごご、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「とりあえずさ、落ち着きなって。何も逃げなくてもいいじゃん」
「あうぅ……あの、あの……」
「ん、何?」
「そ、その、手……」
 その男子生徒の両手は、丁度愛の乳房のあたりをギュウと握りしめ、身体を支えていた。動こうにも、思いの外骨ばった筋肉質な前腕に身体を抱き抱えられており動けない。完全にバランスを崩しそうになっていた愛の身体を支えようとしていたためか、結構な力が込められている。汗と石鹸の入り交じった体臭が、愛の鼻腔をくすぐった。
(男のひとの……匂い……)
 普通なら声を上げるなり相手の頬をひっぱたくなりしているであろうところであったが、不思議な事に、愛は声を上げる事も抵抗する事も出来なかった。
 ただ、生まれて始めて異性に身体を触られるという経験に、頬を熱く染めていた。愛撫でも何でもない、ただの偶然の事故である。なのにどうしてか、点火した種火がじわりじわりと燃え広がってゆくように、掌の触れた乳房を起点に、熱い何かが全身に広がってゆくのを感じた。こうした感覚を覚えるのは勿論生まれて始めての事であり、心臓がドクンと高鳴り、全身が汗ばんでゆくのが分かる。そして、自身の身体に訪れたこのような急激な変化に気付かれるのが何故だかとても気恥ずかしく、またそうした心境を自覚すればするほど、総身を覆う汗が止まらなくなるのであった。
「うわっ!」
「あぁ、んっ……」
 男子が慌てて、スッと手を引く。
 愛は思わず名残惜しげな声を出していた。
「あの……大丈夫? その、本当にごめんよ。悪かったよ。わざとじゃないんだって」
「あの、わたし、もう行きます……」
「あ、そうだ、詩織見なかったかい?」
「し、詩織ちゃん……? 詩織ちゃんなら、化学実験室へ向かいましたけど……」
「そっか、ありがとっ」
 その男子は愛からの返答を聞くや否や、風のような速さで愛の元から去っていった。数秒後には視界から消え去るほどの加速度であった。
 教室には愛一人が残されていた。
(な、何だったんだろ……今の。し、詩織ちゃんの、知り合いなの……?)
 胸の内には、たゆたう種火のような、ふとすれば消えてしまいそうな程の小さな熱が残されていた。しかし、自分も授業に遅れそうな事を思い出し、愛は慌てて実験室へと駆けていった。
 胸の内に残されたこの熱が何をもたらすのか、このときの愛はまだ何も知らなかった。

 授業が終わった。教科書やペンケースを抱えながら廊下を歩いているうちに、ふと先程の男子生徒の事が脳裏をよぎった。
 愛は詩織に「誰か詩織ちゃんのとこに来なかった?」と聞いてみた。
「ああ、メグのところにも来たんだ」
 そう語る詩織の横顔は、押入れから久しぶりに取り出したアルバムでも開いて見ているかのような、 懐かしさと愛おしさの入り交じったような、そんな表情をしていた。
 愛は詩織のそんな表情が大好きだった。
 同性の自分が見てさえ時折ドキリとする。可愛いなと思う。
 瑞々しいピンク色の唇、ふっくらとした柔らかな曲線を描く頬。この笑顔を独り占めにしたいと思う男子の気持ちが、こうして目の前で見ていると良く分かる。
「詩織ちゃん、知り合いなの?」
「ほら、中学でも一緒だったけど、メグはあんまり話したことなかったかしら? 私、彼とは家が隣同士なのよ」
「ああ……それで……」
 詩織はどこか子供のような、悪戯めいた表情をしていた。こんな表情もするんだ、と思った。
「幼馴染みでね、小さい頃は、一緒によく遊んだのよ」
「へえ……。それで結局、何の用だったの?」
「『夏休みの予定は?』だって。受験生なんだし、ずっと予備校通いに決まってるじゃないって言ったら、何だか肩を落として何処かに行っちゃった」
「詩織ちゃん、それ……ひょっとして、デートのお誘いか何かだったんじゃない?」
「まさか。彼、ただの幼馴染みよ」
「そ、そうなんだ……」
 愛は詩織の話をぼんやりとした面持ちで聞いていた。何故かは分からなかったが、その男子生徒の事が頭から離れなかった。
「名前……」
「ん?」
「詩織ちゃん……。その人、名前は何て言うんだっけ?」
「公人……、高見公人よ。なぁに、メグ、気になるの? 紹介してあげようか?」
「ち、違うってば……」
 愛は顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「高見……公人……」
 愛は詩織にも気付かれないよう、口の中で小さく呟いた。それはとても心地よく胸の中に響いた。
 脳裏に映る公人の姿を思い返す。
 目元を隠すように伸ばしたさらさらの前髪、その奥にちらりと見えた優しそうな瞳、薄目の唇は色素が少なくて、少し荒れていた。細身だけれどよく鍛え込まれていて、意外と筋肉質な腕。よく通る、心地よく響く声。
 愛は不思議でならなかった。どうしてこんなに公人の事が気になってしまうのだろう。 
 中学の頃は勿論、高校入学以降でさえ公人とは殆ど面識がなく、まともに話したのも先程の件が初めてである。
 まだほんの少し話しただけでしかない彼の事を思うと、何故だか胸がキュウと締め付けられるような気持ちになった。
 それが愛にとっての初恋の萌芽である事を自覚したのは、もう少しだけ未来のことであった。

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