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4.勇気の一歩

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作者:しょうきち

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 公人とひとときの会瀬を楽しんだ愛であるが、思いの外風邪をこじらせてしまっていた。
 やっとのことでなんとか登校できるほどに体調が回復したとき、一学期の登校日は残り一日、終業式の日を残すのみであった。
 正直なところまだ体は熱っぽさを残していたが、今日は何がなんでも学校へ来なくてはならなかった。
 この日を逃すと、暫くの間彼の顔を見ることが出来なくなるためである。
 風邪をこじらせた理由は自慰をしたまま全裸で寝入ってしまった事もあるが、 もう一つ理由がある。
 熱っぽいものを感じた愛はひとまず学校を休んだが、重い身体を引き摺りどうしても行かねばならない場所があった。近所のクリーニング屋である。
 親が出掛けた隙を突いて愛は重い身体を引きずり、べっとりと着いた愛液の染みをきちんと取って貰えるよう、クリーニング屋の店主に拝み倒した。必死の剣幕に、店員も少し引き気味だったような気がする。
 クリーニング屋から指定された引き渡し日が昨日。無事綺麗になって戻ってきた公人の学ランを納めた紙袋を手に、愛は一週間ぶりに登校した。
 紙袋をギュウ……と握りしめる。
(後はあの人に、届けるだけ……)
 たったそれだけの事なのに、愛はひどく緊張していた。ほんのそれだけの事なのに、朝からそわそわして落ち着かなかった。
 この紙袋を渡すのにかこつけて、あの日のように、いや、あの日よりももっともっと沢山話してみたかった。
 いつ渡しに行こうか。向こうは何時登校してくるか分からない。朝は駄目だ。ギリギリの始業寸前に来られた日には渡すことすらままならないだろう。休み時間、駄目だ。すぐチャイムが鳴る。ほんの10分程度の間に捕まえられるかどうかも分からない。
 そのような事を悩みながら、愛は一日を悶々と過ごした。
 結局公人のクラスへと足を運んだのは、終業式が終わってからであった。
 後は解散するだけ、というタイミングである。緊張と嬉しさが入り交じって、歩き方がぎくしゃくしていた。
 入り口から、教室内をキョロキョロと見回す。公人の席は窓から二番目、最後列である。
(あっ……)
 公人の姿があった。 だが、一人ではない。誰かと話している。その相手は詩織であった。
(詩織ちゃん、どうしてここに……)
 何か話しこんでいるようであったが、何を話しているのかまでは聞こえなかった。
(幼馴染みって言ってたっけ……。話しかけない方がいいのかな……)
 廊下で二人が話し終えるのを待った。
 暫くすると、教室の外にまで聞こえる大きさで、パンッと乾いた音が鳴り響いた。
 何があったのか反射的に音のした方に目を向けると、走り去ってゆく詩織とすれ違った。愛には気付いていない様子であった。
(あんな詩織ちゃん……、はじめて見た……)
 その表情は、普段からすればあり得ないほど感情的に、怒りに震えているように見えた。
 公人のもとへ駆け寄ると、その頬にはそれは見事な真っ赤な大銀杏が貼り付いていた。
「あ、あの……、高見、さん……?」
「ん、美樹原さん?」
「あの、これ……。ありがとうございました」
「ああ、わざわざクリーニング出してくれたんだね。ありがとう、美樹原さん」
「あの……そ、それより、その……」
「ん、どうしたの?」
「ほっぺ、大丈夫ですか……? 詩織ちゃんとなにかあったんですか……?」
「ふふっ、見てたんだ」
「何を……お話してたんですか?」
「いや、大した話じゃないよ。夏休みの事でね。ほら、あいつ、ここのところいつも勉強漬けだろ? 眼だってこんな、クマなんて作っちゃってよ。だからさ、来週末に花火大会があるだろ? 気分転換に行こうぜって誘ってみたんだけどさ、断られちゃったんだよね。『今は受験勉強が一番大事だから、遊んでる暇なんてないの』だってさ。ははっ、せっかく場所取りもやっとくから、って言ってんのにさ」
 公人はあっかんべーをしてクマができた人のジェスチャーをした。それがあんまりにも詩織と似ても似つかなかったため、愛は吹き出しそうになった。
「う……けほっ……ごほっ。し、詩織ちゃん、最近大変そうですもんね……」
「そうなんだよ。あんまり根を詰めすぎたって逆効果だぞって言ってやったんだけどさ、逆効果だったみたいでね。こないだの模試も判定一つ落としたみたいで焦ってるらしくてさ、詩織のやつ、顔真っ赤にして行っちまったよ」
「詩織ちゃん、ああ見えて結構負けず嫌いですからね……」
「そう! そうなんだよね、あいつ。『目の回り真っ黒にしちゃって、只でさえ見れない面してんのに、そんなんじゃ嫁の貰い手がいねえぞ』って言ったのさ。そしたら、コレよ」
  公人は大きく開けた手のひらを頬に当てながら言った。見ているだけで痛々しく、ジンジンと腫れている。
「あ、あの、高見さん……」
「ん、なに? 美樹原さん」
「あの、詩織ちゃんなんですけど……。早く謝った方が……」
「だ~い丈夫、大丈夫。あいつは昔からすぐ癇癪起こすからな。ま、予定がパーになっちまったのは残念だけど、好雄でも誘って行こうかな」
「あ、あのっ!」
「な、なに……?」
「そ、それならっ……、もしよかったらなんですがっ……、わ、私と行きませんかっ!?」
 愛は顔を真っ赤にしていた。
 つい勢いで、とんでもないことを言ってしまったのではないだろうか。
「お、俺と……、美樹原さんで……?」
「は、はい……だ、だめ、ですか……?」
 愛は涙目になっていた。顔をくしゃくしゃにさせていた。
「……ああ、いいよ」
 愛は表情を一瞬でパアッと明るくさせていた。
 同時に、特にやることもなく公人の顔も見られない筈だった夏休みへの期待が、胸の内で大きく広がっていた。
「じゃあ、夜七時に広場の前で。いい?」
 愛はぶんぶんと首を縦に振った。過呼吸になりそうな程興奮していた。

 それからというもの、愛は空に舞い上がるような気持ちで夏休み最初の一週間を過ごしていた。
 何を着て行こうか。どんな事を話そうか。普段しないお化粧、頑張ってみようかな。
 何を食べようか。夜店と言えば焼きそばやたこ焼きが定番だけど、青のりが目立っちゃうかも。
 ムード作りが肝心だ。並んで座って一緒に花火を見上げる。気づかぬ内に顔がすぐ側にある。 手の甲が触れ合う。喧騒の中、周囲は人だらけなのに、今のこの世界は二人だけのものだ。
 目線を地上に下ろす。火照った目線が絡み合う。夜風に揺られた髪を彼の手が優しく撫でる。
 心臓が飛び出してきそうな程、鼓動は激しさを増す。愛は上目使いに見上げると、意を決し、瞳を閉じる。そして━━
(なんちゃって、えへへ……)
 そんな具合の妄想が頭をよぎる。
 いや、もはや妄想とは言い切れないほどそんな未来が間近に来ているのではないだろうか。
 何せ最近までほとんど男子と話すことすらなく高校三年間を過ごしてきた愛である。それが特定の男子と二人きりで花火を見に行くところまで来たのである。
 これはもう付き合っているのとニアリーイコールなのではないだろうか?
 うまくすれば、雰囲気次第では花火をバックに告白してもらえたりするのではないだろうか?
 そんなことを考えながら浴衣を選んでいると、頬が緩むのを止められない。

 愛は夏祭りまでの一週間、一瞬一秒を宝石を愛でるように過ごしていた。
 ただ、唯一気がかりだったのは公人に対し見たこともないほどヒステリックになっていた詩織である。
 愛は公人と二人で夏祭りに行くことを詩織には話さなかった。それが何故であるのかは分からない。考えれば、何かが壊れてしまうような予感が心のどこかにあった。

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