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3.そんなものを書くはめになった身にもなってほしい

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作者:ブルー

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 経過報告3 ―― 7月4日

 日付を入れろと言われた。こういうのは記録だから読んだ人がいつ書かれた物かわかるようにしなければいけない。ごもっともだと思う。でも、そんなものを書くはめになった身にもなってほしい。

 HRのあと科学部の部室にいった。これを提出しにだ。ドアを開けるとカーテンを半分閉めた窓際の机で紐緒さんがパソコンに向かってキーボードを叩いていた。前みたく制服の上に白衣を着ていた。他に誰もいなかった。いつきてもジメジメとして薄暗い。陳列棚には腹部を開いたフナやカエルの標本があって、キジやタヌキなんかの剥製がある。とてもいい趣味だ。そこらじゅうホルマリンの匂いが染みついている。
 チラリと顔を上げて「そこに座って」と軽く命令された。
 期待してたわけじゃなけど、すこしは女の子らしく「こんにちは」とか「いらっしゃい」とか「お疲れさま」とか気のきいた言葉をかけてくれてもいいんじゃないかと思った。まだ理科室にある人体模型の人形のほうが100倍愛嬌がある。
 彼女は俺の渡した経過報告書に目を通して親指の爪を口もとに当てて難しい顔をしていた。時々右目にかかる前髪を邪魔そうに横に動かしていた。そうした時だけ彼女の素顔がかいま見える。閣下と呼ばれ、筋金入りのマッドサイエンティストだけど紐緒さんは意外と整った顔立ちをしている。プロポーションだってなかなかのもんだ。普通にしてればいいのにと思わなくもない。
「藤崎さんの裸を見て性的に興奮したわけね」
 たいくつなので指に絡めてくるくると遊んでいた髪を引っ張りそうになった。
「べつにとがめているわけじゃないのよ。この報告書に書いてある内容は誰にも話さないし、もちろん彼女にも」
 その事について俺はハナから心配していない。紐緒さんは他人のプライバシーを覗き見て笑うようなタイプの女子ではない。むしろそういった人間を軽蔑する側だ。だから思ったことをそのまま書けるし、内容が他人に漏れる心配はまったくない。
「もしバレたら詩織に確実に殺される」
「口はきいてもらえなくなるでしょうね」
 詩織にも「お願いだから勝手に人の体を見ないで!」とヒステリックに言われていた。でもさあ、お風呂なんかどうしろって言うんだ? どうせ向こうだって俺のを見ているんだからおあいこだろう。それにもう見ちゃったもんは見ちゃったもんだ。(じつはさっきも鏡の前で裸になって隅々まで観察していた。乳首を摘んで軽く割れ目をなぞると背中がゾクッってした。アソコがトロッと濡れて、指先にネバネバが絡んだ。そのまま目を閉じてアソコを連続で擦ってしまった。なんかすごくいけない感じがした)
「それにしても小学生みたいな汚い字ね」
「ほっといてくれ」
「藤崎さんの字はお手本にしたいぐらいなのに。じつに興味深いわ。肉体が入れかわっても後天的因子はそのままみたいね」
「詩織きてたんだ」
「ええ、朝方にね。聞いてないの?」
「なんかすっかりふてくされててさ。てっきりすっぽかしたかと思ったのに」と、俺は俺の姿を探すふりをして部室の中を見回した。
「彼女ちょっと疲れてるみたい」
 そりゃあ疲れるだろふつう、と思う。紐緒さんは頭は素晴らしく切れるけど、そういった他人の感情なんかには無神経なところがある。でなければ科学者という人種はやってけないのだろうか。俺は彼女も恋をしたりするのだろうかと考えた。恋をした彼女の姿を想像することは、銀河系の反対側で暮らす宇宙人を想像するのに似ている気がした。つまりてんでわからないってことだ。
「どんなことが書いてあったか知りたい?」
「きいても教えてくれないんだろ」
 彼女は口もとだけでかすかに笑っていた。

 それから俺は反射神経テストを受けた。パソコンの画面に一瞬だけ表示される図形を見て、それが何色のどんな形だったかボタンを押して回答するゲームみたいなテストだ。画面にはハートやクローバーや○や×なんかの記号がパッパッと点滅していた。あと簡単な問診もだ。
「気分が悪いことはある?」
「とくに」
「めまいや頭痛は?」
「ないなー」
「おかしな夢を見たりした?」
「見たら報告書に書いてるよ」
 いたって正常だと言われた。
「またくるように」

 今朝のことを書こうと思う。あんなふうにたくさん挨拶して登校したのはいまでなかった。普通に歩いているだけなのにみんなが声をかけてきた。いつもは無愛想な生徒指導のハゲまでだ。最初はバレるんじゃないかとビクビクしたけどそんなことはまったくなかった。みんな俺が詩織だと信じていた。注目を浴びるのがこんなに気持ちいいとは知らなかった。背すじとか自然とピーンってなる。俺も調子にのって「おはよう」とか「おはようございます、先生」って笑顔で挨拶した。あと小さく手を振ったり。ハゲのやつデレデレしてた。

 下駄箱を開けるとドサーって手紙が落ちてびっくりした。全部詩織あてのラブレターだった。3年生のバスケ部の先輩、おたくっぽい△△、隣のクラスの○○(こいつは女子には受けがいいけど男子には嫌われている)、一個下のサッカー部のわりと名前の知られたやつ、などなど俺の知ってる名前もちらほらあった。かき集めて鞄に押し込むのも大変だった。もちろん読まずに捨てたけど。男からの手紙なんて読む気もしない。

 教室では間違えて自分の席に座りそうになった。先に俺が座っていて気づいた。詩織だ。机に参考書を開いて、肘を着いた両手で顔を覆ってブロンズ像みたいにピクリともしていなかった。なんか朝からそこだけ重い空気がたれこめていた。いかにもお願いだから声をかけないで、という雰囲気が背中に感じられた。俺は黙って横を歩いて詩織の席に着席した。
 鞄の荷物を出していると(詩織は教室の机に辞書や教科書なんかを置いてないのですごく重たい)美樹原さんがやってきた。美樹原さんは詩織の一番の親友だ。まっすぐ伸ばした栗毛色の髪にちょっと小動物っぽい瞳をしている。前髪は眉にかかるラインでまっすぐに切り揃えられている。見た目のまんま性格も内気でおとなしく極度のあがり症でクラスでもあまり目立たない存在だけど、時々見せる自信なさげなおどおどした仕草なんかけっこう可愛い。いわゆる隠れた美少女ってやつだな、うん。そんな彼女が目立たないのはいつも一緒にいる詩織のせいだとも思う。どうしても二人が並んでいると男の理想そのままみたいな詩織に目がいく。
「めずらしいね、詩織ちゃんがこんなに遅く登校するなんて」って言われた。
「んあー、ちょっと寝坊しちゃって」
「えー、詩織ちゃんが寝坊!? そんなことあるの。ウソみたい」
「あるよー。目覚まし時計が壊れちゃってて。うわー、やべえって感じでさー」ってごまかした。本当はぐっすり熟睡してたせいだ。髪をブラッシングしたりブラジャーを着けたり朝の準備に手間どったのもある。女子ってほんと準備に時間がかかる。まさに身をもって知ったってやつだ。
 見ると美樹原さんが口をぽかーんってさせて瞬きしていた。
「どうしたの?」と聞いた。
「なんだか詩織ちゃんのしゃべり方が……その、いつもとちがって男の子みたいだったから……」
 マズって思った。こういうときはとりあえず笑うしかない。
「あははは。やだなー、そんなことあるわけないじゃん。美樹原さんの聞き間違えじゃない」
「……いま美樹原さんって」
 そうだ。詩織は美樹原さんのことを『メグ』って呼ぶのを忘れていた。
「き、気のせいよ、メグ」
 内心冷や汗をたらして言い直した。ぎこちない笑顔を作って、取り出した教科書なんかをあわてて机に押し込んだ。やばいやばい。詩織の忠告していたとおりだった。俺はもっとしゃべり方とかに注意しないといけない。

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