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8.過去編⑦~emergence~

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作者:しょうきち

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 現行の風営法では風俗店舗の建て替えが禁止されており、一見ネオン・サインの光るきらびやかな看板がところ狭しと並ぶ風俗街であるが、その建物は所々に老朽化の影が見えている。
 長引く不況で経営も厳しいのか、過去にはビルが建てられていたと思われる区画が不自然に抉れた更地となり、駐車場へと転用されている土地も少なくない。
 キィキィと年季の入った音を立て、自転車をゆっくりと漕いで行く白髪の老人が、立ち寄った街角の煙草屋で店主の老婆と世間話をしている。その向かい側では、顔に生気の無い30歳程の地味なOL風女性の姿が、風俗ビルの裏口へと吸い込まれていく。
 そんな午前中の、多くの店舗がまだ開店前で営業準備をしている風俗街。そこに魅羅は降り立っていた。
 ソープランド『aquarium』は、駅から向かってかなり奥まった街はずれの区画に位置している。
  こうした街に降り立つのは当然ながら初めてである。いかがわしい男に声をかけられたりしないかと緊張していたが、以前住んでいた街を思わせるレトロな街並みに、どこか懐かしさを覚えていた。
 歩を進めていくと、やがてソープランド『aquarium』の看板が見えてきた。幾多ものLED電球に彩られた看板は、朝方ということもあって今は輝きを放ってはおらず、よく見ると所々に錆が目立っていた。
「あの……すみません」
 魅羅は、クールビズ・スタイルでワイシャツを着こなす、店先で掃き掃除をしている男におずおずと声をかけた。年の頃は30代半ば程度に見える。
「はい? あっ『玻璃』さん……じゃあなかったか。何か用かな? ここは君のような子供が来ていいところじゃないから、警察に補導される前に早く帰った方がいいよ」
 男は丁寧に、諭すように魅羅に話した。
「いえ、あ、あの、私、娘の魅羅です。母の事で話したい事があって、今日は来ました」
「……何か、ただならぬ事情がありそうだね。ここじゃ何だから、こっちへ来なさい。あ、私、店長の五十嵐です」
 魅羅は、思いの外紳士的な、五十嵐と名乗る店長らしい男に面食らっていた。
 ソープランド『aquarium』は、客を出迎える正面入口においては五ツ星高級ホテルもかくや、といった、大理石造りの建物が瀟洒な調度品によって彩られた豪華絢爛な様相を見せているが、従業員が出入りするためのの裏口は、土建屋の事務所かといった程の簡素な造りであった。
 魅羅が案内された執務室は、極々普通のオフィスと変わりない 、事務机と電話にパソコン、そしてその日の出勤状況と予約状況が書かれたホワイトボードがあるだけであった。
 室内では20代半ば程とおぼしき黒髪オールバックの従業員が、一人で引っ切り無しに予約受付や送迎車の配車のための電話応対をしている。先程凄い剣幕で電話をかけてきたのは、この男であろうか。
 魅羅はその更に奥にある応接室へ案内された。そして、中央に置いてある応接ソファーに座って待っているよう促された。
 暫く待っていると、店長が紅茶を持って表れた。
「はい、どうぞ。ティーパックで悪いけど」
「あ、はい。ありがとうございます」
「で、貴女のお母さんだけど、今日は何があったのかな? ただならぬ事情のようだけど」
 魅羅は、今朝起きた事、そして母の病気の事を話した。
 すると、五十嵐は一考した後、神妙な顔で魅羅に告げた。
「成程……。そうなるとお母さんには気の毒だけど、ここは辞めてもらわざるを得ないねぇ。事情が事情なんで、本来ならドタキャンでペナルティ料を徴収するところだけど、今回はそれは無しにしてあげるから、帰ってお母さんに伝えておいてもらえるかな?」
「そ、そんな!? で、でも、ウチにはどうしてもお金が必要なんです! 何とか、なんとかなりませんか?」
「そうはいってもねぇ、ウチも慈善事業じゃないんだよね。性病や子宮系の病気を患ったら、少なくとも完治するまでは風俗の仕事は辞めてもらう。これは、少なくともウチのグループじゃあどの店舗でも絶対のルールなんだ」
 五十嵐は毅然と言い放った。魅羅はその剣幕に葛藤されるも、抗議の目で五十嵐を見つめていた。
「何故ですかって顔をしているね? これはキャストの為だけじゃあない。『あの店はそういった身体の人でさえも無理矢理働かせている』、そういった風評を立てられたらお客さんもそうだし、応募してくる女の子も居なくなっちゃうからね。今は複数の匿名掲示板に有ること無いこと書かれちゃうから、そういうのには常に気を遣っているんだ。それに、そんな身体のお母さんに尚もソープで働いてもらうっていうのかい?」
「う……うう」
 ぐうの音も出ない正論であった。魅羅は申し訳無さと恥ずかしさを感じた。
「そ、それなら……わ、私が……!」
「おっと、それ以上はよく考えて言った方がいいんじゃないかな? そもそも、君はここがどういったお店か、本当に理解しているのかい?」
「男の人から……お金を貰って……、セックスする、場所です……」
「……そうだよ。見たところ君はまだ男性経験なんて無いだろう? そういう娘はいきなりここで雇うなんて事は出来ないよ」
「あ……あります! 一度だけ……です、けど……」
「ありゃ、そうかい。でも、君は止めた方がいいよ。若いんだから、他に働き口なんていくらでもある」
「いえ、それでも、まだ小さい弟たちの為、これから治療費とかでお金が沢山必要になる母の為、どうしてもお金が要るんです。店長さん、どうか私を、ここで働かせてくれませんか?」
「……ふーっ、参ったな……」

 神妙な顔をしていたが、実のところ五十嵐の心中は揺れ動いていた。
 彼はこうした人情話にはとても弱かった。
 それは、かつて若くして大手コンビニ・チェーンの関東エリア統括マネージャーを務める優秀なビジネスマンであったが、困窮にあえぐ不採算店舗に対して独自の判断でフランチャイズ料を下げた結果、本部から目を付けられてクビになったという経歴も、その人となりを表していた。
 会社をクビになり、妻や子供にも逃げられて絶望していたところであったが、請われてアフロディーテ・グループに入社したのが6年前である。その後は前職の知見を活かして、託児所の整備、勤務管理などといった革新的な制度整備を進めていた。こうした制度改革について、アフロディーテ・グループで働くキャスト達からは、初めは戸惑いを持って受け止められていたが、今ではすこぶる好評である。
「覚悟は分かった。でもね、ソープランドってどういう仕事をするのか分かっているのかい? 単に男の人とセックスすればいいという訳ではないんだよ?」
「え、違うんですか?」
「違う」
 五十嵐は、ぴしゃりと言い放った。
「スケベ椅子やローションを使った洗体、マットプレイ等、単にエッチが好きというだけでは、風俗経験者でなければまず知らないようなテクニックを一つ一つ覚える必要がある。ただセックスをしたいだけだったら、普通に奥さんなり恋人とすればいい。でも、ウチみたいな高級ソープに通う客っていうのは、それだけじゃあ満足できないってことだ。プロフェッショナルならではのセックス・テクニックを持って、どんなお客さんでも必ず満足して帰ってもらう。それが出来ないキャストはウチには一人たりとも居ないし、要らない」
「う、うう……」
「君に、それが出来るかい?」
「……やります。やらなきゃいけないんです」
「それだけ本気なら、もう一つ厳しい事を言わせてもらうよ? 技術の話を先にしたけど、この世界、大事なのは一にも二にも容姿。美に対する意識だ。君は見たところスタイルはそれなりに良さそうだけど、メイクやファッション・センスなんかは全然だ」
「そ、それじゃあ、駄目ですか……私?」
「うん。でも、君の心意気に免じて、チャンスをあげようと思う」
「ほ、本当ですか?」
「条件は三つだ。一つは、帰って君の母さんの『玻璃』さんに、 今日の事を話して君が働く事について許可を貰って来る事。これは当然のことだ。分かるよね?」
「はい。……母さん……」
「二つ目は、明日またこの時間、ここに来てもらう際に、きちんと着飾った格好で来る事。メイク、髪型、ファッションセンスを見せてもらう」
「はい。それでもう一つは……何ですか?」
「三つ目は、そうだな……二つの条件を満たすことが出来たら教えよう。それじゃあ、今日はここまでだ。明日の正午、またおいで」
「分かりました……」

 魅羅が事務所を後にすると、聞き耳を立てていた電話番の男が、五十嵐に声をかけた。
「玻璃さん……、病気って事なら退店扱いで登録、消しときましょうか?」
「いや、まだいいよ。ヤクザからの紹介だからねぇ……いきなり消したら何を言われるか分からないからね。入店面接も落とす訳にいかないし、困ったもんだ」
「それじゃあ、玻璃さんはお情けで入店させたっていう事ですか?」
「いや、そういう訳じゃない。掘り出し物だったと思うし、残念に思ってる。でもなあ、あの手の紹介って、バックマージン入れなきゃいけないから、店にとっての旨味が減って、困るんだよね」
「そうですね……。ところで、さっきの娘さん……、玻璃さんの娘さんですか? 母親にあんまり似てない垢抜けない子のようですが……本当に採用するんですか?」
「ああ、そのつもりだ。お前には未だ分からんだろうけど、アレは磨けば伸びるタイプだと思う。メイクや姿勢をちゃんと矯正してみれば、ぐっと印象が変わる筈だ」
「成程……。とはいえ、セックス経験も浅そうですし、ちゃんとうちの店でモノになりますかねぇ……?」
「そこら辺は未知数だけど、彼女の眼……家族や母親の為、何でもやりますって言う覚悟って言うか、スゴ味を感じたね。経験上、ああいう娘はこの業界でやっていける素質はあると思う」
「そうですね。後は、明日改めて覚悟の程を見せてもらえれば、という感じですね」
「ああ、口ではあーだこーだ言いながら、いざとなったらバックレる女を沢山見てきたからね」
「そっすね……」

 病室に、乾いた音が響き渡っていた。
 ソープランド『aquarium』での顛末を聞かされた魅羅の母親が、娘の頬を張ったためである。
「魅羅っ! 私は……私は娘にそんな事をさせる為に育ててきた訳じゃないわっ! 今すぐ断りの連絡を入れなさいッ!」
 母のため、家族の為に悲痛な決断を下した魅羅であったが、冷や水を浴びせられる格好となった。ある意味当然の結果ではあるが。
 娘の暴挙に憤怒の表情を見せる魅羅の母であったが、魅羅は母の瞳を正面から見据え、言葉を続けた。
「母さん。だからって、お金はどうするのよ? ウチにはお金が無いし、母さんの病気……入院費だってかかるのよ」
「あなたがお金の事なんて心配する必要はないわ。それに、一生に一度の初めてをあんなところで捨てるつもり?」
 母の瞳には、過去に女を売って生きてきた者のみが持つ哀愁が浮かんでいた。しかし、魅羅の覚悟はそれ以上のものであった。
「初めてなんて、もう無いわよっ! どうせ私なんて彼氏が出来てマトモに恋愛するなんて、望むべくも無いのよっ!」
「み、魅羅……。まさか……」
「前の中学を行かなくなったのもそう。バージン喪失写真をクラスに晒されたのが、引きこもってた理由よっ!」
「み、魅羅……、そうだったのね……。薄々は思っていたけれど……」
「だからいいの。男の人の相手をする事に、抵抗なんて無いわ。母さんや映達のために、私、頑張るから……」
「魅羅……うう……、ごめんね」

 翌日、魅羅は生まれて初めてカット一万円を超える美容院で髪型を整えた。家に戻り、魅羅は母の衣装箪笥を開いた。
(母さん、借りるわね)
 身に纏うのは、マゼンタ地にVネックのミニのワンピース。大人の女性らしさを演出するアイテムだが、魅羅の年齢不相応に発達した乳房は、ネックラインの奥に広がる胸元に蠱惑的な谷間を作り上げていた。
 腰には白地のデザインベルトとゴールド・チェーンを巻き付けてある。
 そして、化粧台に向かい、たっぷりと時間をかけてメイクを施し、香水をふりかける。
 くっきりと眉を書き、派手なアイシャドウを施すと、まるで自分が別人になったように思えてくる。
 生まれて初めて男の目を引くためだけに施すメイクは、魅羅を生まれ変わったような気分にさせた。
(これが……私。でも、大丈夫かしら……。いえ、やるしか、やるしかないのよ……)
 自ら地獄へと堕ちて行く恐ろしさに身を震わせながらも、魅羅は己を鼓舞した。
 そして正午、魅羅の脚は再びソープランド『aquarium』を目指していた。
 この街へ来るのは二度目となるが、朝方の何処か昭和を思わせる古ぼけた街並みとは違い、正午前ともなると、堅気の社会生活を送っているとはとても思えない人影がまばらに見られる。
 一方を見ると、手にした携帯電話を一心不乱に叩きながら、よく言えば情緒ある、悪く言えば老朽化の激しいラブホテルへと足早に消えてゆく中年女。
 また一方を見ると、ステテコに腹巻きを巻いた初老の男が、虚ろな目で「ッスゾ……、……ラァ……」等とブツブツ言いながら道端を歩いている。
 魅羅は、そうした人間に目を合わせないよう、早足にaquariumへと向かった。下手に絡まれでもすると、一体何をされるのか想像もつかない。
 尤も、この街にどっぷりと浸かった住人はいつか彼女ら、彼らの同類項となってゆくのだが……。今の魅羅に、そんな残酷な事実を知る由はない。

「ああ、よく来たね。魅羅」
「店長、今日は……宜しくお願いします……!」
 ソープランド『aquarium』を再び訪れた魅羅は、昨日と同様に応接室へ通された。室内のソファーでは、店長が昨日と同じ顔で待っていた。 
「で、お母さんの許可はとってきたのかい?」
「は、はい……!」
 魅羅は力強く頷いた。
 五十嵐は魅羅の座るソファの周りをぐるりと歩き、魅羅の事を舐め回すように観察していた。
「あ、あの……店長さん……?」
「ちょっと待って。そこに座っていてくれる?」
  360度からじっくりと見回すと、昨日とは違う、女としての覚悟が感じられる程にメイクやファッションがキメられている。それは、荒削りではあるものの、幾人もの女を見てきた五十嵐の目をも唸らせるものであった。
「……うん……うん。……や、1日で随分頑張って来たんだね。見違えるようだ。ま、ちょっとレトロ趣味が過ぎるけど……。後は先輩達に学んでもらったりすればいいかな……」
「あ、ありがとうございます……」
「これで、昨日出した二つのテストはクリアだ。で、三つ目のテストなんだけど……」
 魅羅は息を飲み、一呼吸置いて答えた。
「実技試験……ですよね。覚悟は……出来てます。お相手は、店長さんですか……?」
 そう言うと、魅羅はその場で服を脱ぎ始めた。
「ちょ、ちょーっと待った! 一体いつの話をしているんだ? 昭和の昔ならともかく、今時はそんな事はやらないよ。だって、一人ならともかく、1日に何人も面接が入ったら男の方がもたないだろ?」
「え……、じゃあ、一体誰が……?」
「そろそろ来る。……あ、来たかな?」
  五十嵐が入口ドアの方を見やると、コンコンとノック音が聞こえてきた。
「はーい、どうぞ」
 五十嵐が返答した。ドアを開けて入ってきたのは、匂い立つような妙齢の美女あった。
「店長。この娘が入店希望の子ですか?」
「おお、お疲れさん。魅羅、この人が今日の講習担当、うちの一番の人気嬢にして最古株の『麗』さんだ」
「店長、古株は余計よ。麗です。魅羅ちゃん。今日は宜しくね」
「あ……はい。宜しく……、お願い……します」
(うわぁ……凄い美人……。こんな綺麗な人もこういうお店で働いているものなのね)
「それじゃ、行きましょ」
 麗に連れられて、魅羅はソープランド『aquarium』のプレイルームへと足を踏み入れた。
(これがプレイルーム……。ここで、何度も何度も男の人とセックスする事になるのね……)
「合格すれば、だけどね」
「わぁっ!?」
「ふふ……何でって顔をしてるわね。不安よね? わかるわ。初めてはみんなそうよ。ま、ウチに働きに来る子は、他店で何かしら風俗のお仕事を経験済みの子が殆どだけど」
「麗……さんは、初めての時は緊張しましたか?」
「え、私?  ふふ……そうね。忘れちゃったわ。何せ、20年も前の事だからね」
(20年!?  ウソでしょ? じゃあ、少なくともこの人、アラフォーってこと?)
「さ、そろそろテスト、始めるわよ。服を脱いで頂戴。ここには私とあなた、女しかいないから、遠慮することはないわ」
 そう言うと、麗は着ている衣服を脱ぎ始めた。 露になった肌は、年齢をまるで感じさせない艶やかさを保っていた。
 その美しさにたじろぎながらも、魅羅は纏った衣服を脱ぎ裸となった。年齢に似合わぬ艶やかさを保つ、言わば大輪の薔薇のような麗の裸体に対し、魅羅の裸体はまだ10代で性体験も浅いということもあり、瑞々しさを感じさせている。
 麗は魅羅の身体つきをじっと見つめると、そっと近づいて、魅羅の頬にチュッとキスをした。女体と女体が触れ合う。若さゆえ、やや硬質な部分を残した魅羅のバストと、完熟した果実のような麗のバストがムニュリとたわむ。
 鎖骨から乳房、脇から臍へと人差し指でじっと撫でていった。文字通り唇が触れあうかあわないかの至近距離からの麗の吐息を感じ、魅羅はクラクラする感覚と共に興奮する自分に気づいていた。
「あ……あの!?」
 魅羅はぎょっとしてたじろいだが、麗は構わずに尻や太股を撫で回して行く。
「ちょ……、何を?」
「怖がらなくていいわ。準備運動みたいなものだから。そのままじっとして、私に任せなさい」
 麗は片手で魅羅の乳房をこねくり回し、もう片方の手で内腿や下腹部を微妙なタッチで愛撫する。
「ふふ。あなた、着太りするタイプかしら? 脱いだ方がよっぽど女として魅力的よ」
「私が……魅力的?」
「ええ、そうよ。その野暮ったいファッションと髪型さえ何とかすれば、男が放っておかないわよ?」
「そう……かしら? モテた事なんて、全然ないのに……うあっ!?」
 会話を続けながら、麗の指先は魅羅の身体の隅々へと這い回ってゆく。気づけば細長い指が魅羅の乳輪に優しく円を描き、指先がそっと乳頭に触れていた。
 まるで別の生き物であるかのような淫靡な指さばきに、魅羅はたまらず声を上げる。
「ふふ……カワイイ。貴女には才能があるわ。男を誑かし、骨の髄まで虜にする……。そんな魔性の女としてのね」
「そん……な……、は……んっ! わからない……。分からないわっ……!」
 ひとしきり魅羅の乳房を愛撫した麗の指先は、止めとばかりに魅羅の陰部へと伸びてゆく。下腹部を優しく撫で上げ、陰毛を掻き分け、大陰唇をぐるりとなぞる。そして中央にあるクリトリスを同じ女ならではの繊細さを持って優しく愛撫する。
 そして麗は言葉を続けた。
「この仕事、暫くやっていればその内分かるようになるわ。女と男。騙し騙され。打算と欲望を介した歪な関係。貴女が飛び込もうとしているのは、そんな世界。……あら、いい感じにベットリと濡れて来たわね。それじゃ、プレイを始めるわ。準備ができたら、そこのエアーマットに仰向けになってくれる?」
「はい……」
 これまでの人生で感じた事が無いようなプロの手による全身への愛撫は、魅羅の身体と頭を微熱と共に蕩けさせる。麗の発する言葉の一つ一つが、乾いたスポンジに垂らした水のように魅羅の脳内へ染み渡っていった。
 
「滑るわよ。両手で頭上の膨らんだ部分を掴んでいるといいわ」
「は、はい……」
 麗は全身を使ってエアーマットにローションを塗りつけた。そしてマット上に仰向けに寝転んだ魅羅に対し、麗は人肌に暖めたはちみつボトルからペペローションを垂らしてゆく。
「風俗のお仕事、初めてなのよね。これはローションって言って、お客様との身体の滑りを良くしたり、モノがおっきくて中々入らない時なんかは、アソコに塗って挿入しやすくしたりするのよ。ウチのお店では備え付けの備品がいくらでもあるから、ボーイさんに頼めば幾らでも貰えるわ」
 ちなみにデリヘルや格安ソープ等では、こういった備品は全て風俗嬢が自腹で調達しなければならない事が多い。ソープランドにおいてはコンドーム、歯ブラシ、イソジンうがい液、更には好みの入浴剤等といった細々とした必要備品も多く、地味に風俗嬢達の手取りを圧迫している事もあるのだ。
 しかし、ここ『aquarium』では基本的な備品は全て店持ち(客や嬢の好みによって取り置きの物で賄えない場合、応相談)である。業界随一とも言われる風俗嬢達の働きやすさを目指した店作りの一環である。
「さ、準備はOKよ。お手本、見せてあげる」
「あ……、んあっ……」
 麗は魅羅の上に馬乗りになると、全身を密着させ、魅羅の足指に始まり耳や乳房、首筋等といった性感帯とされる箇所を順番に、反応を楽しむかのように丁寧になめ回していった。
 魅羅は身体の隅々から芯からチリチリと煮え立つような熱を感じた。 麗の指が触れた箇所は、まるで魔法のように熱を帯びてゆくのだ。
  一度熱が入り蕩けた肉体の部位は、連鎖的な快楽が突き抜けてゆく。こうなると触れられていない箇所さえも快楽を求め、ぶるぶるとわなないてゆくのだ。
 そんな魅羅を見下ろしながら、麗はサディスティックな笑みを浮かべ愛撫を続けて行く。
「うふふ……。ビクンビクンしちゃって、可愛いわぁ」
 麗は所謂貝合わせの体勢のなり、自らの女陰を魅羅のそれへ擦り合わせてゆく。魅羅の肉の扉がこじ開けられ、内側から漏れ出す淫汁をクチュクチュと指で弄ばれる。
「あっ……ああっ……!」
 官能の波が、魅羅の脳髄を満たしていった。初めはさざ波の様であったそれは、やがて大津波となって魅羅を呑み込んでゆく。
「う…… んんっ……!」
 脳天まで快楽が突き抜ける。豊かな髪を揺すりながら、魅羅はひときわ身体をビクンと震わせた。自らの意思と無関係に脊椎が弓なりに軋む。初めての時、同級生の男子が相手の時は痛いだけであった。そんな、苦い想いしかなかった性行為で初めて絶頂に達した瞬間であった。 ただし、今回は相手が同性であるが。
 生まれて初めて足を踏み入れた官能世界をゆらゆらとさ迷う魅羅の表情を、麗は満足げに見下ろしていた。見つめる瞳が燃えていた。
 やがて、魅羅は睫毛をぱちくりとさせながら目を開いた。
「え……あ……、私……!?」
「少しの間、意識を失ってたみたいね。ほんの数秒だけど。……さ、お手本はこんな感じよ。次は貴女がやってみて」
「は、はい……!」

 魅羅はマット上で切なげに足をくねらせながら仰向けに寝転ぶ麗に向き直った。母親とは違う、無数の男の精を吸い取ってきた女体に魅羅は圧倒された。
 麗の振る舞いを真似て、ローションを使い密着感を強める。
「こ……こう……ですか?」
「ふふ……。中々筋がいいわね。もっと大胆になっていいのよ? ……んんっ!」
 魅羅の唇が、チロチロと麗の乳輪をなめ回していた。初めはおずおずとしていた舌遣いがやがて大胆になっていき、やがて呼吸が荒ぶってゆく。魅羅は、麗と共に官能の混じった女同士の吐息を浴びせ合う。
「あー……、んっ……。何か……変な気持ち……です」
「うふ……。魅羅は可愛いわね。これならウチのお店でやって行け……」
 麗がそこまで言いかけた時であった。ローションマットのヌルヌルとした滑りと浮遊感に慣れていなかった魅羅は、官能の高まりと共に支えを失い、マットから滑り落ちていった。
 そして魅羅は、派手な音を立てて頭からタイルに突っ込んでいた。
「だ……大丈夫!?」
「い……痛たたたた……」

 暫く後。
 入店テストはここで終了となり、魅羅は再び応接間で待たされていた。手持ち無沙汰な中、出されたアイスティーを啜る。
(どうしよう……最後の最後でやらかしちゃったわ……。私、やっぱり落ちちゃうのかしら……?)
 魅羅がその大きな胸をヤキモキとさせながら待っていると、待合室のドアがノックされた。魅羅は立ち上がり、そちらへ向き直った。
「店長さん」
「やあ、お待たせ」
 書類を小脇に抱えて室内へ入って来たのは、『aquarium』店長であった。
「頭……、ぶつけたって聞いたけど、大丈夫?」
「あ……、大丈夫です! それより、私……私……!」
「テスト結果、気になってたよね。ええと、オホン。結果を発表させていただきます」
 魅羅は息を飲んだ。五十嵐は小脇に抱えた書類をテーブル上に広げながら言った。 
「鏡 魅羅さん。あなたは……合格です。取り敢えず体験入店からかな。それじゃあ、細かい勤務条件の説明、後シフトを……。あれ、どうしたの……?」
 魅羅はへなへなとソファに座りこんでいた。
「ご、ごめんなさい……。あんまりドキドキしてたせいか、腰が……」
「ハハ。緊張したかな? これから沢山のお客さんの相手をしてもらう事になるからね。色々な事、少しずつ慣れていこうかね」

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