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6.過去編⑤~酒と泪とお風呂と女~

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作者:しょうきち

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 かつて、現代で言うソープランドがまだトルコ風呂と呼ばれていた、昭和と呼ばれる時代。
 日本国内は高度経済成長のるつぼにあった。
 製造業界は特需に湧いていた。魅羅の父は若くして鉄工所を立ち上げ、その経営は当初は軌道に乗っていた。
 しかし、やがて石油危機に伴い国内の好景気に陰りが見え始めると、経営は少しずつ傾いていった。技術力には自信があったものの、営業や経理を疎かにしていたことが仇になった。
 それでもコツコツと堅実に、赤字にならない程度に経営を続けていたが、ある日、信じていた金庫管理を任せていた人間に経営資金を持ち逃げされた。
 このままでは不渡りを出して倒産してしまうという状況。あらゆる伝手を頼っても金策が上手くいかず、魅羅の父はジャズ・バーでヤケ酒を呷っていた。
「うぅっ…… 畜生め……」
「あの……そこのあなた、そんなに飲み過ぎては……お体に障りますよ?」
 そんな魅羅の父に声を掛けたのが、若い頃の魅羅の母であった。
 魅羅の母は、両親を早くに亡くし、結婚詐欺師によって多額の借金を背負わされたのが18歳の頃であった。この時代、身体以外に何も持たない女一人、大金を稼ぐ手段は一つしかなかった。それがトルコ風呂である。
 
 現在でいうソープランドの前身とされているトルコ風呂であるが、元々セックスを前提とした施設では無かった事を知る者は、今の時代となってはあまり多くない。
 トルコ風呂は、元々はアカスリやマッサージ等のサービスが付属する風呂屋で、どちらかというと今でいうスーパー銭湯に近いものであった。
 女性が個室においてサービスを施すという点は共通しているものの、その内容は、男性客の服を脱がせ、スチームバスに入れ、身体を洗い髭を剃り、シャンプーをして、最後にベッドで指圧マッサージを施すという健全なものであった。
 そんな中で、売春防止法の施行によって行き場の無くなった売春業を営んでいた者達(赤線業者と呼ばれていた)がこの業態と結びついてゆくことによって、性風俗店としてのトルコ風呂は発展していった。
 客の側も女を買える場所が無くなったことにより、求めるサービスがどんどん不健全な方向に傾いていった点も、こうした流れに拍車を掛けていた。
 しかしながら、初期においては警察の摘発を恐れ、サービスは大っぴらなものではなく、あくまで細々としたものであった。店の中には多少Hなサービスを行っていた店もあったようだが、精々が『スペシャルサービス』と称する手コキ程度で、これは『おスペ』と呼ばれていた。
 こうした状況に転機が訪れたのは、かつての東京オリンピックの開催である。
 好景気を当て込み、トルコ風呂の莫大な出店ラッシュが起きた。圧倒的に店舗数が増えたことによって競争が起こり、サービスは過激化の一途を辿った。
 もはやおスペは当たり前となり、ダブスペ(Wスペシャルの略で、女性が下着を脱いで69スタイルでサービスを行う)や素股も行われ、更に店によっては本番と称する売春行為も行われていたのだという。
 警察庁はこうした状況を問題視し、取締りを強化した。オリンピックによって多数の外国人が訪日し、日本は売春大国だ等と悪評を立てられては、最早戦後ではなく日本は近代国家へと生まれ変わったのだと盛んに喧伝しできた事が水泡に帰してしまうからだ。
 しかし、この浄化作戦は都内において一定の成果を挙げたものの、それまで旧赤線地区を始めとした特定地域のみで行われていたトルコ風呂産業を、首都圏の各県を始めとした全国各地へ押し広げる結果となっていた。類似の現象は、21世紀にあっても数代前の都知事の時代等に見られる。
 こうした時代の流れを受け、各地へ散っていった新興のトルコ風呂街が根付いた地域のひとつが、きらめき市へ越してくる前に鏡家が居を構えていた街である。
 そのトルコ風呂街は、五輪に沸く都心とは違い独自の発展を見せていた。現代の金銭価値とは違うもののあくまで安価な、概ねスーパー銭湯よりも少し割高といった程度の入浴料金であったそれまでのトルコ風呂に対し、入浴料金だけでも一万円超えの高級トルコ風呂が見られるようになったのもこの街が発祥であった。
 また、現代でも高速道路脇等に見られるような豪華絢爛高級ラブホテルの建築ラッシュが相次いでいったのも、この街が起点である。トルコ風呂においても、ラブホテル文化の中で生み出された回転ベッドやムーディーな電飾等を取り入れたりしていた。
 こうした流れの中で、サービス内容についても過激化と共に、現代にも通じる様々なソープ・テクニックが生み出されゆく事になる。

 そして、借金苦に喘いでいた魅羅の母が18歳でトルコ風呂業界へと足を踏み入れたのは、丁度この頃の時代であった。
 そこそこ整った顔立ちはしていたものの、若さゆえに大したテクニックもトークスキルも持たず、あまり人気嬢とは言えなかった魅羅の母に転機が訪れたのは、トルコ嬢『玻璃』として働き始めて半年弱が経過した頃であった。
 ある日、ひどく酒に酔った常連客がやって来て、素直に身体を洗わせてくれないという事があった。魅羅の母は一計を案じ、たまたま浴室に立て掛けてあったビーチマットに客を横たわらせた。
 当時のトルコ風呂のサービスの流れは、女性が服を着たまま浴室で男性客の体を洗い、その後ベッドへ移動し、料金を受け取った後、電気を消して本番サービスへ移行するというのが常であった。
 しかし、この時の魅羅の母は従来の手順を無視した。なぜそのような発想が生まれたのかは分からない。ビーチマットに横たえた男性客の身体に泡をまぶして洗っている内に、股間がムクムクと大きくなってきていたのを見て、「風呂場でセックスするのも楽しそうかも」と考え、そのまま騎乗位の挿入行為に及んだのである。
 後に『泡躍り』と呼ばれるソープ・テクニックの原型が誕生した瞬間であった。

  魅羅の母の取った行動が、後の風俗産業にとってエポック・メイキングとなった点が2つある。
  一つは、こうしたテクニックを惜しげもなく、商売上のライバルたる同僚トルコ嬢へと伝えたことであった。
 日本においてセックスは密室でひっそりと行われるもの、という固定観念が支配的で、男同士の猥談等なら兎も角、女同士でセックス・テクニックを伝授し合う事は、極々限られた場所を除いてはあまり一般的ではなかった。
 警察の取締強化によって、トルコ嬢の業務指導を行った店長が逮捕された事件があった事も、こうした流れに拍車を掛けていた。
  魅羅の母は、特にこうした歴史的、文化的なものを意識していた訳ではなく、単なる善意で同僚にも技術を伝えただけであったが、結果としてこの街においては短期間の内に様々な技術が開発されていった。
 マット上で泡まみれとなった女性が、指も、乳房も、陰毛も、肉体の全てを性具として使い、まるで踊っているようなアクションで客を攻め立てつつも挿入を焦らしに焦らす、最早前戯という次元を超えたサービスが話題となった。
 二つ目は、女はベッドで寝そべり股を開くだけという受け身のスタイルが主であった性風俗産業において、女性が上位となり主体的にセックスを行う潮流が誕生した事である。
 戦前・戦中の軍隊文化から、 早飯早糞早射精が尊ばれていたこの国にあってこの出来事は、男の性奴として蔑まれていた女性に意識改革の芽生えが誕生した瞬間であった。
 こうしたテクニックの発展につれて、その出本である魅羅の母は次第に押しも押されぬ人気嬢となり、3年程経つ頃には借金を返し終え、それどころか莫大な貯蓄を備えるまでになっていた。
 しかし、若くしてこの業界にどっぷりと漬かった弊害か、魅羅の母は同年代の娘達のように大学に通ったり一般企業へ就職したり、そして恋をしたりといった普通の青春を楽しむ事を想像も出来ず、ズルズルとトルコ嬢の仕事を続けていた。
 女性の社会進出が叫ばれ始めていた時代の話である。

 何か商売を始めるといった才覚も無く、同僚トルコ嬢のように高級ブランド品を買い漁ったり、悪い男に入れあげたりといった不毛な遊びも出来ずに、虚しさを覚えながら毎日男に抱かれ、通帳にゼロが積み上がってゆくのをただ眺める日々。
 そんな中、仕事帰りに戯れに立ち寄ったジャズ・バーで出会ったのが、魅羅の父親であった。
 たまたま相席してグラスを傾けていた二人であったが、不思議と気は合い、互いに恋に落ちるのに時間はかからなかった。
 しかし、魅羅の母は自身の来歴について本当のことを語ることは決して無かった。
 とある資産家の一人娘であったが不幸な事故によって両親を失い、若くして資産を継承した身である、という嘘をついていた。この嘘は、結果として遂に夫が亡くなるまでつき続ける事となった。
 そして、魅羅の父の経営する鉄工所が苦境に喘いでいることを聞かされた魅羅の母は、自らの資金で急場を凌ぐ事を提案した。
 魅羅の父は固辞したが、結局魅羅の母が押し切り、そして籍を入れる事になった。同時に、魅羅の母はトルコ嬢をスッパリと辞めた。
 その後暫くして長女の魅羅が生まれた事を皮切りに、およそ二年に一人のペースで魅羅の母は愛する夫の子を産み続けた。それまでの女としての幸せなど望むべくもない不毛な人生を取り戻さんと、よき妻、よき母であろうと振舞い続けた結果であった。
 そして昭和から平成へと時代は移り変わり、青年実業家とその妻は、気付けば40台を迎えていた。
 7人もの子供達を育てる忙しい毎日の中、夫の鉄工所の苦境、そしてヤクザからの借金に気付くこととは出来なかった。
 お互いを思いやった結果とはいえ、皮肉なことに、夫婦共に隠し事を抱えたまま永遠の別れを迎えることになったと言える。

「うぅ……そう、だったのね……」
 両親の過去の顛末を聞き終え、魅羅の目には自然と涙が浮かんでいた。
「ショック……よね。母親のこんな話を聞かされて」
 魅羅は、静かに首を横に振った。
「母さん……。そりゃあ、ショックじゃなかったなんて言えばウソになるけど、私の生まれる前の話だし、正直現実感が無いわ。母さんは……母さんよ。これまでも、これからも私達を育ててくれて感謝してるって事に、変わりはないわ」
「魅羅……ありがとう……」
「ところで母さん、今の話で一つ疑問が有るんだけど、当時の貯金はどうしたの? ヤクザの借金、それで返すことはできないの?」
「それが……、父さんの鉄工所を畳むために、銀行やコンサルタントに払ってしまって殆ど残高が無いのよ……」
「参ったわね……。それじゃあ、何とかしてもう一度引っ越すっていうのはどうかしら。ほとぼりが冷めるまで逃げきれば……」
「魅羅。ヤクザの恐ろしさを甘く見ちゃ駄目よ。ウチの住所はバレちゃってるし、たとえ引っ越しても、何時まで経っても、地の果てまで追いかけて来るわ」
「万事休す……、なの……?」
「魅羅……あのね、母さん、あの男の提案……受けようと思うの。そりゃあ、本当はイヤよ? でも、あの人のため、貴女達のため、私はこの家を守らなければいけないのよ。分かって頂戴、魅羅……」
「……母さん……ごめん。ごめんね……」
 愛する母の悲壮な決意に、魅羅は一筋の涙を流していた。

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