作者:しょうきち
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転校前まで通っていた魅羅の出身中学は、とても荒れた学校であった。女子でさえも授業をサボってトイレでタバコを吸っている者は珍しくなかったし、男子は2~3日に一回は流血レベルの喧嘩騒ぎを起こしていた。眼前で男子同士が喧嘩を始め、へし折られた前歯が宙を舞うシーンを見たこともある。
こうした学校は、教育関係者の間では教育困難校とも呼ばれている。
そんな地獄のような環境で特に恐れられている者は、金属バットを人間の頭部目掛けてフルスイング出来る別世界の人間と言われている。そうした人間が代々、各学年ごとに数名はいるような状況であった。
魅羅はそうした男同士が、決闘だか私刑だかと称して河川敷で角材と金属バットで殴りあっている姿を見たことがある。
当然正視などしてはいられず、逃げるように家へと帰って行ったが、後に聞かされた話によると敗れた方は頭蓋骨陥没と脳挫傷の重症を負い、未だに学校へ姿を見せないのだという。
魅羅にはこうした行為が全く理解できなかった。非行には縁がなく、元いた地域では珍しい程の、家族を愛し恋に憧れる普通の女子であるためだ。
しかし、この時だけは違った。
言い知れぬ程の不穏な予感は、心臓を鷲掴みにして引き裂いてゆくかのような、母の悲痛な叫びを聞いて確信に変わった。
父を亡くし、母親をも失ってしまう恐怖に刈られたこともあって、念のために野球部である弟の割の愛用金属バットを持って来ていた。たとえ相手が凶器を持った強盗等であったとしても、構わず突撃する覚悟であった。
そして居間へとやって来た。男達に無理矢理犯されている母を救うため、生まれて初めて抱く殺意溢れる暴力衝動に身を任せ、後先などは一切考えずに金属バットを頭部目掛けて振り下ろしたのである。
堅いものを叩く、鈍くて重い音が部屋内に響き渡った。
「……危なかったぞ」
空を切り裂き、振り下ろしたバットは、すんでのところで男の頬を掠めるに留まっていた。悲しいかな、魅羅にとっては生涯最高の殺意を込めた一撃であったが、日常が暴力そのものであるヤクザ二人組にとっては、こうした不意打ちは取るに足らない日常の1ページでしかなかったのである。魅羅が強かに打ち付けたのは、頭蓋骨ではなく床絨毯であった。
魅羅の渾身の一撃は不発に終わってはいたものの、魅羅の母親は男達の汚れた肉棒から解放されていた。
「はーっ、はぁっ……」
床を強かに打ち付け、魅羅の細腕は千匹の蟻が這うような痺れを訴えていた。だが魅羅は痛みに構わず、両の眼で男達を睨み付けていた。
「あんた……達……、許さないわよ。……っ!?」
しかし一呼吸置いた次の瞬間、男達二人の内、若く見える金髪リーゼントの方は、一瞬で魅羅との間合を詰めた。喧嘩慣れした男特有の立ち回りであった。
「オラっ、ケガ……すんだろうがっ!」
「きゃあっ!?」
金髪の男が魅羅の左横へと回り込み、横から強かにバットを蹴飛ばした。手首に鈍い捻挫痛が走り、魅羅の持つ金属バットはカランと音を立てて転がっていった。
それを見て、スキンヘッドの男がズボンをいそいそと履きながら、相棒の金髪に対して言った。
「おい、大事な『商品』に怪我ァさせるなよ」
「……へぇ、すんませんねぇ」
「あ、あんた達、何なのよっ!?」
「……ずいぶんなご挨拶だなあ? お嬢ちゃんは確か……娘の魅羅だな? まだまだ芋っぽい面をしているが、もう少し経てばいい感じに稼げそうな体つきをしてやがる。どうだ、母親と一緒に……」
「や、止めてッ、お願いよ……」
男達から解放され、息も絶え絶えで床に倒れ込んでいた魅羅の母が叫んだ。
魅羅の母をギロリと睨み付けて牽制しつつ、スキンヘッドの男が続けた。
「おっと奥さん、俺達はただ仕事の斡旋をしてるだけだぜ……? それに二人でソープランドで働けば、借金だって半分の期間で返せる。いいことづくめじゃないか?」
「ケ、ケダモノっ! 魅羅に……、娘にそんなことなんて、 絶対にさせないわ!」
「ちょっと、借金って何よ!? それにソープランドって何っ!?」
「ウヒヒ、お嬢ちゃん、質問は一つずつだ。お前の父ちゃんはな、俺達の会社に300万程借金をしてたのよ。利息がついて、今は700万を超えているがなあっ」
「ちょっ……何でそんなに利息がつくのよっ!?」
「貸すときに、お前の父ちゃんにはちゃんと説明したんだぞ。ウチの利息は10日で一割、いわゆるトイチだ。三ヶ月間、利息分の支払いさえも滞っていたからな」
「だ、だからってそんな高金利、イホーよ、イホー。よく知らないけど、ふざけた事言うなら訴えるわよっ」
「ああんっ!?」
「ひっ!?」
金髪リーゼントが低い体勢から魅羅を見上げるように、悪鬼羅刹のような目で睨み付けた。
「ヤれるもんならヤって見やがれっ! 法律がナンボのもんじゃい! 俺らは金貸しだ。貸した金は何があろうと、地獄の果てまで逃げようが返してもらう。全く、黙ってこんなとこまで引っ越してヨォ。ガタガタ言ってると、調査費と迷惑料、交通費も上乗せすっぞ? オラァ」
金髪の男の言葉を、さらにスキンヘッドの男が続けた。
「ま、折角来てみたはいいものの、大黒柱の旦那さんが死んでるとあっては返すアテも厳しそうなんで、お前の母ちゃんには沢山稼げる仕事をご紹介差し上げていたってわけさ。な、玻璃さん?」
「……っ!」
魅羅の母の顔が、一瞬で色を失った。
(針? 母さんの旧姓かしら?)
魅羅が困惑していると、金髪リーゼントが下卑た笑みを浮かべながら言った。
「イヒヒ、嬢ちゃんは聞いてないようだな。教えてやる。いいか? お前の母ちゃんはな、若い頃……」
「や、やめてッ!!」
次の句を継がせんと、普段は温厚な魅羅の母が激しく取り乱していた。しかし、金髪の男がその腕を後ろ手に取り押さえ、スキンヘッドの男は構わずに後を続けた。
「嬢ちゃんのママはな、若い頃はトルコ風呂で働くトルコ嬢だったのよ。玻璃は当時使っていた源氏名だ」
「……っ!」
魅羅は絶句していた。魅羅の母は絶望と屈辱に、ボロボロと大粒の涙を流していた。
「おっと、最近の娘はトルコ風呂って言っても意味が分からんかな? 要は、今で言うソープランドだ。女が男とパンパンして、金をもらう場所だよ」
「兄貴、その言い方も古いですぜ」
「うるせえっ」
スキンヘッドの男が、拳骨をリーゼントの頭に落とす。一方の魅羅の母は、力なくうなだれていた。
「う……、うう、やめて……。娘には、魅羅には絶対に……知らせたくなかったのに……」
「ま、覚悟がついたらここに連絡することだ。少々トウが立っているが、あんたなら昔の客も呼べるだろうし、きっとまだまだ稼げるだろ」
「じゃあな。10日経ったらまた来るぜ。それまでに利子分ぐらいは用意しておけよ? おばさん」
ちゃぶ台の上に名刺を置き、男達二人は鏡家を去っていった。
後には魅羅と母親の二人が残されていた。
玄関口がガチャリと閉まる音が聞こえてくる。暫く経った後、魅羅がぽつりと口を開いた。
「母さん……。服、着よ? 直に、光か映辺りが帰って来ちゃうわ」
「そ、そうね……」
「話は、後で詳しく聞かせてもらうから……」
「ええ……」
その夜、弟達が皆寝静まった時間帯。鏡家の居間では、魅羅と母親が二人きりで向かい合っていた。
「魅羅……」
「母さん、色々聞きたい事があるわ」
「……魅羅、あの人達が言っていた事だけど」
「本当……、なの?」
魅羅の母は、無言で頷いた。
「当時は若く、お金が必要だったのよ……」
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