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1.悪ガキ

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作者:ブルー

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 玄関で靴を脱いでいると、背後からすごい勢いで駆けってくる足音が聞こえた。
「くらえっ! スーパーライダーキーーック!!」というどこかで聞いたことのあるフレーズ。肉に足がめりこむ激痛が背中に走った。
「ぐほぉぅ!?」と土間にうずくまる。わき腹を押さえて後ろを見ると、半ズボンに風呂敷マントをした子供が玩具の刀をかざして立っていた。
「なんだ、こいつ……」
 頭には新聞紙で折った兜をかぶっていた。見たことのない顔だった。5年生か6年生か、小学生高学年ぐらいだと思った。いがぐり頭で、目と目の間が離れた意地の悪そうな顔をしていた。目と同じぐらい離れた短い眉を吊り上げて、えらそうに見下ろしている。悪さ盛りのガキ大将という感じだ。
「誰かお客さん、マー坊」
 廊下の向こうからエプロンをしたタマ姉がスリッパをパタパタとさせてやって来た。うずくまっている俺を見て「どうしたの、タカ坊」と口をあんぐりさせていた。
「ただいま、タマ姉……いきなり蹴られてさ」
 どうにか立ち上がる。まだピリピリとした痛みが残っていた。
「だめじゃない、マー坊」
「マー坊??」
「あー、そうね。タカ坊にはまだ話してなかったわよね」
 タマ姉が説明しようとすると、横のそいつが玩具の刀を突きつけて「お前は誰だ。人のうちに勝手に入ってきて、泥棒だろ。俺が成敗してやる!」とでしゃばった。
「待ちなさい、マー坊。この男の人はタカ坊よ。さっき話してあげたでしょ。私の一番大切な人よ」
「それじゃ、こいつがタマお姉ちゃんの彼氏なのか??」
 わかりやすい声をあげている。意外そうに俺を見上げていた。背はこのみよりも低いぐらいだろうか。俺はなんと答えていいかわからず耳の横をポリポリかいた。
「ちゃんと挨拶しなさい。いずれは雄二を支えて、向坂家の副当主になるのよ」
「ええーー。こいつがーー」
 あからさまに不満そうな口ぶりだ。あ、あのなーと言いたくなった。
「で、この子供は?」
 俺はようやく呼吸を整えることができた。タマ姉はエプロンで手を拭きながら「遠縁の子でね。マー坊っていうんだけど、しばらくうちで預かることになったの」と説明してくれた。たぶん夕食の準備をしている途中だったのだろう。台所のほうから美味しそうな煮物の匂いがしていた。タマ姉はこう見えて料理とかがめちゃくちゃ上手い。土間上がりには屋久杉の立派な衝立が難しい顔をして置いてあった。外では蝉時雨が聞こえていた。

 いろいろあって向坂家でやっかいになっている。一応の立場は居候だけど、ほんとのところ俺とタマ姉は婚約してる。向坂家っていうのは知られた旧家でそういうところは何かと古風なしきたりがあったりするのだ。ちなみに雄二はそんな俺のことを、世界で二番目に不幸な男だと言い張ってはばからない。「あんな怪物みたいな女と結婚してみろ、一生尻にしかれんぞ」
 雄二は姉貴のタマ姉に頭があがらないのだ。今日もこのみとゲーセンに寄り道するといって別れてきた。
「そういうわけでよろしく、マー坊」
 俺が笑顔で握手をしようとすると、スネを思いっきり蹴られた。
「ごがあああ」
 痛みに足を押さえた。続けて玩具の刀で頭をバシバシ叩かれた。
「マー坊、乱暴はダメでしょ」
 タマ姉は、マー坊と同じ目線にしゃがんでなだめていた。
「うるさいやい! こんなやつ絶対認めないからな! タマお姉ちゃんは俺と結婚して、俺の嫁さんになるんだい! 俺のが先に決めてたんだからな!」
 ムキになって玩具の刀を振り下ろしている。タマ姉は目をまん丸にしていた。クスクスと笑いはじめる。
「ねえねえ、いまの聞いたタカ坊? 強力なライバル出現よ」
 幸せそうなタマ姉の匂いがした。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 夕食後、俺は居間で横になってテレビを見ていた。テレビでは野球をしていた。有名選手を並べたホームチームが序盤ですでに10-2と大量リードしていた。日はすっかり落ち、雑木林の庭の見える縁側からは涼しい風が吹いていた。
「あら、雄二は?」
 台所で洗い物をしていたタマ姉がお盆にお茶を載せて戻ってきた。
 熱すぎずぬるすぎず、あいかわらず絶妙な熱さ加減のお茶だった。まろやかでコクがある。
「イルファに耳かきしてもらうって部屋に戻ってったよ」
「あのバカ。食器を片づけるのも手伝わないで」
 布巾を手にしたタマ姉は畳に膝を着いて食卓の上を拭きはじめた。右から左に大きく拭くと、腰履きのジーンズのお尻も左右に動いていた。タマ姉は背も高くてスタイルがいいからジーンズ姿がとても良く似合う。いちおう良家のお嬢さま(?)ってことになるけど、俺やこのみにとっては血の繋がったお姉さんって感じだ。背中まで伸びたネコ耳みたいなツインテールをしている。絹のようになめらかで、見ていると思わず触れたくなる。
 俺はお茶の少なくなった湯飲みを手で回しながら、忙しそうに後片づけをしているタマ姉の後姿を眺めていた。テレビでは外国人助っ人がホームランを打って12-2になっていた。オレンジ色のマスコットがうまいぐあいにバク転をして、解説者が「明日の試合のために2、3点取っておきたいですね」と言っていた。

「リンゴ食べるでしょ」と、タマ姉が背中を向けたまま言った。
「うん」
「すごく美味しそうなリンゴがあったのよ」
「おまけしてもらった?」
「私が行くと『よ、タマちゃん今日もきれいだね」っていつもいってくるのよね、果物屋の鉄さん」
「タマ姉は商店街でも人気だから」
「他のところでもいろいろサービスしてくれるのよ。やっぱり顔なじみの商店街があるのって便利よね」
 タマ姉は耳元の髪を指でかきあげて笑っていた。その横顔はすごく大人っぽい。1歳しか違わないのに10歳ぐらい年上なんじゃないかと思うこともある。昔はすっごいおてんばだったんだけど知らない人は信じてくれない。長袖のシャツにキャミソールを重ねた胸がたわわに揺れていた。

「そうだ、マー坊は?」
「トイレじゃない。どっかで迷子になってるのかな」
「ねえ、可愛い子でしょ。元気に走り回っているのを見ると、自分が子供だった頃を思い出すわ」
「たしかに元気だよね。ご飯もモリモリ食べてたしさ」
 可愛い子という部分だけあいまいにしてた。食事のとき、マー坊はタマ姉の隣に座ってかき込むように飯を食っていた。まるでそこが俺の場所だって言わんばかりの態度だった。
「あの子ね、小さい頃にお母さんを亡くしてるの」
 俺は少なからず意外だった。なんと言えばいいのかわからなかった。
「父親は仕事でしょ。きっと寂しいのよ。それで甘えたり、タカ坊にヤキモチを焼いたりするのね。私をお母さんだと思って」
「タマ姉がお母さん?」
「あら、おかしくないでしょ。子供はいつでも若くて綺麗な母親像を求めるのよ。それにあんなふうに慕われると、無下にできないってのもあるかな。やっぱり小さい子供は近くにいる大人たちが守らないと」
「あのさ、普通自分で綺麗とか言わないんじゃない」
「何か問題でもあるの?」
「ハハハ……とくにないです」
 あらためてタマ姉の心の広さに感心していた。怒ると怖いけど、タマ姉はほんと子供たちに人気があって優しい。放課後に近所の公園で昔話を聞かせたりしている。タマ姉だと悪ガキたちも素直に言うことを聞く。
「探してくるかな」と立ち上がった。なんとなく肘を逆の手で押さえるストレッチをする。
「ついでに雄二も呼んできて。リンゴがあるわよって」
「うん。お茶美味しかったよ」

 縁側の先のトイレに行ったけど誰もいなかった。かわりに電気がつけっぱなしになっていた。
「おーい。マー坊いるかー」
 電灯の灯りをたよりに長い廊下で名前を呼んでみる。見事に静まり返って返事はなかった。「ほんと広すぎるんだよな、このうち」とひとり言を口にした。使われていない部屋もたくさんある。とりあえず雄二の部屋に行くことにした。

 ノックしてドアを開ける。イルファの姿はなかった。雄二がベッドに寝転がって漫画を読んでいた。頭に大きなヘッドフォンをしていた。そこではカエルの鳴き声も聞こえなかった。
 俺はドアを開けた状態でトントンとノックした。でも、雄二に気づく気配はなかった。漫画雑誌を熱心に読んでいる。もう一回ノックした。
 ようやく気づいた雄二はヘッドフォンを外して体を起こした。
「イルファは?」
「んあー、姉貴の手伝いするとかっていって逃げられた」
「そのタマ姉がリンゴ食べにこいってさ」
「おお、サンキューな。マイブラザー」
「ハハハ」と俺は乾いた笑いをした。
「マー坊を知らない?」
「さあ? またなんかやらかしたのか、あのクソガキ」
「そうじゃないけど」
「まったく可愛げのないガキだよな。貴明もそう思うだろ。子供のくせに姉貴にばっか色目を使いやがって。俺が挨拶しても返事もしやがらない」
「親戚じゃないの?」
「遠縁っつったって分家の分家だろ。いちおー親戚つーことでうちの工場で社長してるみたいだけどな。他人みたいなもんだぜ」
「それならどうしてわざわざこの家に預けたりするんだろ」
「そりゃー、本家に顔を売って縁故を強めとこうって腹づもりだろ。多いんだぜ、そういう奴。親戚が多いとめんどくせーのなんの。親の顔が想像つくだろ」
「なんだか大変そうだな」
「ふぁああ。もう慣れたけどな。姉貴はガキに甘いだろ。女っぽいところもあるのが笑えるよな。化け物みたいな怪力のくせに」
「タマ姉は子供になつかれるタイプだから」
「どうだか。なつかれてんじゃなく、手なずけてるんだろ。子供を操るのがうまいんだよ」
 雄二はケラケラと笑っていた。タマ姉と雄二はほんとはすごく仲のいい姉弟だ。だからこんなふうに軽口をいつでも叩ける。タマ姉は雄二に次期当主としてしっかりしてほしくて厳しく接している、それだけのことだ。はた目にはスパルタ教育に見えることもあるけど。
「んじゃ、リンゴでもいただきにまいりますか」
 ベッドから降りた雄二は、めんどくさそうにあくびをして歩いていった。なんだかんだ言ってタマ姉には逆らえないところが雄二らしい。

「まさか外に遊びに行ったわけないよな」
 玄関に行こうかとしたところで、タマ姉の部屋のドアがわずかに開いているのに気づいた。もしかしてと中を覗いた。
「うわっ!」って言いそうになった。そこにはタマ姉の下着入れを漁るマー坊がいた。床にはカラフルなショーツやブラジャーやニーソが散らばっていた。タマ姉お気に入りの黒の下着を手に持って、天井の灯りにかざしていた。
(どっひゃー。殺されるぞ、こいつ)
 俺は凍りつくような鋭い目つきをしたタマ姉の姿を想像してしまった。タマ姉は古武術の達人で、大人相手でもあっという間にのしてしまう。雄二なんかよく叱られて必殺のアイアンクローをされている。そういう意味では本質的には昔と変っていない。いつもはネコみたいな穏やかな瞳をしているけど、何かあるとスッと細まったりする。そうなったら危険信号だ。血の海を見ることになる。
 俺の気配に気づいていないマー坊は、黒の下着を左右に引き伸ばし顔を近づけていた。
「ハアハア、タマお姉ちゃんの匂いがする」と顔を押し付けて、団子っ鼻を真ん中に当てていた。スーハースーハーと息を吸っていた。子供のくせにあっちの世界にイッた危ない目をしてた。股布部分を顔にかぶるようにする。
「おい、こら。なにをしてるんだ」
 さすがにまずいだろうと思って、俺は声をかけた。
 振り向いたマー坊は驚いた顔で俺を見て、手に持ったタマ姉の下着を素早く背中に隠した。サッって、まるで万引き慣れしたみたいな動きだった。
「お前どうしてここに」
 それは俺の台詞だろと思った。
「タマ姉に見つかったらタダじゃすまないぞ」
 俺や雄二なら叱られるどころじゃない半殺しだ。ほんとはタマ姉を呼んで注意するべきなんだろうけど、さっきの母親が死んでいるという話を聞いたあとではそんな気持ちになれなかった。
「お願いだからタマお姉ちゃんには黙ってて」
 今にも泣きそうな声をしていた。
 俺は床に散らばった下着類を集めて、それらを下着入れにひとつひとつしまっていった。
「わかったからタマ姉にバレないうちに片づけないと。人の部屋に勝手に入ったりしたらダメだろ」
 軽く注意すると、マー坊は俺を残してさっさと部屋を出て行ってしまった。
「なんだよアイツ」
 俺はあきれてしまった。親のしつけがまったくなってないなと思った。一人親で甘やかされて育てられたのだろうか。それにしても女性の部屋に入って下着を漁るのは普通じゃない。それとも最近の小学生ではそういう遊びがはやっているのだろうか。
 な、バカなわけないか、と俺は首を左右に振った。パンティーやブラジャーやニーソを元あったであろう場所に戻していった。

「なにをしてるのかしら、タカ坊」
 迫力のある声がしてビクンとした。恐る恐る振り返る。ドアのところに腕組みをしたタマ姉がこめかみを微妙に引きつらせて立っていた。
「あれえ、タマ姉。俺はマー坊を探してさ」
「その手に持っているのはなにかしら」と、すっと細めた目つきでタマ姉が指差す。
 俺はたまたま持っていた生地を広げた。淡いピンク色のショーツがヒラヒラとはためいた、春うららの野原を舞う蝶のように。
「やだなあ、タマ姉。もしかして勘違いしてる? 落ち着いて聞いてほしいんだけどさ、これは俺じゃなくて」
 身振り手振りで弁解しようとする。殺気をみなぎらせるタマ姉の後ろに隠れるようにしてマー坊が立っているのが見えた。目の下に指を当ててあっかんべーをしてた。まさかはめられたのか??
「問答無用。言いわけなんて男らしくないわよ、タカ坊!!」
 ヌウゥーとタマ姉の腕が伸びてきて、視界に黒い影がかかった。
「いててて、割れる割れる割れるっ!!」
 俺の頭蓋骨が悲鳴をあげた。

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