スポンサーリンク
スポンサーリンク

11.水晶の柱1

アクセス数: 145

<<前へ 早川沙織からの手紙 -11- 次へ>>

 いつものように目を覚ますと、ぼくは濃密な暗闇に囲まれていた。辺りは、深い海の底のように真っ暗でなにも見えない。
 かすかに水の流れる音が聞こえる。
 ぼくは床にしゃがんで、まぶたを開いたり閉じたりさせる。
(しっかり開いてるはずなんだけどな)
 とぼくは思う。
 ためしに指でまぶたを触ってみる。
 上に動いている。
 もしかすると、心理的な問題なのかもしれない、と思う。
 なにせここは夢の世界だ。銃で撃たれても、ビルから飛び降りても死ぬことはない。

 ぼくは、ここは古墳だと感じる。
 フードコートで沙織と話したことで、いまはそれがありありと感じられる。
 静謐せいひつという、小説でしかお目にかかることのない単語が浮かぶ。この場所にピッタリだ。
 沙織は見事に証明してみせた。
 どこかに水晶の柱が青白く輝ているはずだ。古墳の地下深くで、ぼくらを導こうとしている。
 どこに? どうして、ぼくと沙織が?
 大きな疑問だ。
 あと、沙織は制限時間があるはずだといっていた。
 制限時間ってなんだろう?
 それをすぎるとどうなる?
 頭が痛くなりそうだ。
 考えたところでわかるわけがない。ヒントがすくなすぎる。

 ぼくは、後ろの壁にもたれかかった。
 あまりに自然すぎて、はじめはわからなかった。
 背中に垂直の石の感覚がたしかにある。
 体をあずけても、しっかりと支えてくれている。
 ためしに手で触ってみると、ひんやりとして床と同じ感じだった。平らな大きな一枚岩か、継ぎ目のない四角い石を精緻に積み上げている。表面は乾いていてざらざらとして、厚みがある。
 いままで、そんな物はなかったはずだ。際限なく暗闇が続く、平面だと思っていた。
(ぼくが正解に近づいたってことか)
 ささやかなステージアップだ。
 と同時に、それまでそうじゃないかなー、と思っていたことが確信に変わった。
 ぼくがいる場所は、石室だ。
 赤茶色く錆びた鉄の扉に閉ざされた、むこう側。扉には大きな南京錠がぶら下がっている。
 広さはせいぜい縦横4~5メートルぐらいしかないはずだ。
 ちょっと広めのワンルームってところだ。
 とにかく一息つけた。すくなくとも落とし穴や池のようなものはない。
 慣れってこわいよなぁ、と思う。
《落ち着いて、深呼吸をして、ここは怖くないんだって自分に言い聞かせるの》
 と沙織はいっていた。
 おかげで、これまでのような息苦しさや恐怖心はない。
 ぼくは、フードコートでフィッシュバーガーを、小さくかじるようにして食べる沙織を思い返した。
 感情が入ってしゃべると、身を乗り出すようにして、黒目がちの瞳を大きく見開く。
 ぼくは、沙織のことを感情の薄いタイプだと思ってたけど、むしろ逆で、表情がとても豊かだ。
 もしかすると、まえの学校ではおしゃべりだったのかもしれない。こっちでは、目立たないように抑えてるだけで。
 仲良しグループについて話す沙織は、すごくナチュラルだった。
 ぼくは、なんていうかギャップみたいなものを感じていた。なんだ、普通じゃん、みたいな。
 くだらないイメージを勝手に作り上げて、壁を作っていたのは、ぼくだったのかもしれない。
 沙織のことをもっと知れたらいいのになと思う。どんな音楽が好きかとか、サッカーに興味あるのかなとか。

 モールを出たあと、沙織を自転車のうしろに乗せて駅まで送った。
 沙織はぼくの腰にしっかりと両腕を回して、背中に頬を寄せるようにして体をくっつけていた。
 沙織は一言もしゃべらなかった。いろいろしゃべって、肩の荷が下りたみたいに。
 ぼくは、背中に沙織の温もりを感じながら、国道沿いの道をなるべくゆっくりと自転車をこいだ。

 1時間か、2時間か。ぼくは、そんなふうにして沙織のことや学校でのことを考えていた。
 夢の中で時間の経過を考えること自体、おかしな話だけど、とにかくここでは時間という感覚がない。あったとしても、かなりゆっくり流れている。
 喉が渇くことも、お腹がすくこともない。トイレに行きたいと思うこともない。
 おそろしく孤独なことを除けば、物思いにふけるには打ってつけの場所だ。

 ぼくは、ふいに人の気配を感じる。
 だれかの視線だ。
 ぼく以外の人間が真っ暗な石室にいて、こちらを見ている。
 ぼくは、それを肌で感じる。
 沙織か? と思った。
 沙織の夢の中にぼくが出てきたのなら、ぼくの夢の中に沙織が出てきてもおかしくない。
 
 目を凝らして、ギョッとした。
 壁に寄りかるようにして片膝を立てて座っている、30歳ぐらいの男がいた。
 丸ぶち眼鏡をかけた、痩せて疲れた顔つき。黄ばんだ白シャツとカーキー色の作業ズボンで革の軍靴を履いて、まばたきをせずにこちらを見ていた。
 ヤガミ少尉だ。
 図書館で見た、写真のまんまだ。まるでカゲロウのように、暗闇の中で淡く発光している。
 ぼくは、金縛りにあったように動けなかった。叫ばなかったのではない、叫べなかった。
 動いてはいけないという、無言の警告を感じる。
 ぼくには、海上自衛隊に務めている叔父がいるが、叔父とはぜんぜんちがう。
 叔父はとても温和で、ぼくにオセロを教えてくれた。2年に1回ある海洋演習の話をしてくれる以外は、その辺にいるおじさんと変わりはない。写真で、海上自衛隊の制服姿を見ても、かっこいいな、ぐらいにし思わない。それは叔父がだれも殺していないし、大勢の仲間が死ぬところも見ていない、日ごろから厳しい訓練を受けているにせよ、基本的には普通の大人と変わらないからだ。
 だが、ヤガミ少尉のたたずまいは、それとはあきらかに異質だった。
 たとえるなら、鞘に収まった鋭いナイフだ。ぼくは、ヤガミ少尉が本物の戦場を生き抜いてきた軍人なのだと知る。その手で敵兵を殺して、目の前で仲間が血を流しながら息絶えるのを何度も見てきた。
 
 ヤガミ少尉は、ぼくをジッとにらんでいるのだと思った。
 だが、丸ぶち眼鏡の奥の瞳に、穏やかな輝きがあるのを見て気づいた。
(ヤガミ少尉は、ぼくを見てない)
 そう、ヤガミ少尉は、はじめからぼくなんか見てなかった。
 ぼくのうしろにある空間を見ていた。
 なつかしそうな目で、どこか悲しそうな目で。
 ぼくは、恐る恐る後ろを振り返る。

 何もないはずの暗闇に、和服姿をした若い女性が、いそがしそうに働いている姿があった。
 襟にかからない程度に伸ばした髪先にパーマをあてて、色白のとても美しい女性だった。
 年齢は25・6歳ぐらい。ちょっと心配になるぐらい細い。
 利発そうなところや、育ちの良さそうな雰囲気が、どことなく沙織に似ていた。
 女性は手に反物を持って、客に見せている。
 場所は、たぶん弘前市のどこかにある呉服店。
 学校新聞で読んだ、婚約者の女性だ。
 手慣れた手つきで色とりどりの帯をたたみ、着物を並べる。黒髪がほつれたように額にかかり、それを片手でなでつける。
 ヤガミ少尉は、その様子をずっと眺めている。
 まるで、たったひとりの映画館で、繰り返し流れるトーキー映画を延々と眺めるように。

 ここはヤガミ少尉の夢の中だ。1945年の。
 ぼくは、いつのまにかヤガミ少尉の夢の中に迷い込んでしまった。
《あなたには他人の夢の中に入る能力があるみたい》
 と沙織がいっていた。
 水晶の柱が、古墳の地下深くで呼んでいる。
 沙織はこうもいっていた。
《それが私たちに夢を見せている装置》
 ”私とあなた”ではない。”私たち”の中には、ヤガミ少尉も含まれていたのだ。

 ぼくは、ようやくわかった。
 ヤガミ少尉が、どうして軍の命令に逆らってまで古墳を埋め戻したのか。
 ここはヤガミ少尉にとって神聖な場所だ。だれにも踏み荒らされたくない。だれにも暴かれたくない。
 だれもが持っている、心の奥底にある、なつかしい景色。
 ヤガミ少尉は、古墳の地下に見つけたのだ。図面に書いてあった、巨大ななにかを。
 しかし、なんらかの理由で中に入ることができなかった。
 鍵がなかったのか、合言葉が見つからなかったのか。とにかく沙織が到達した、水晶の柱がある空間に入ることができなかった。
 軍隊なので、高性能な爆薬を使って、横っ腹に穴を開けることは可能だったはずだ。
 なにせ、当時の日本軍はかなり追いつめられていた。米軍に奪われるぐらいなら、手っ取り早く爆破して、内部を調べてしまったほうがいいという乱暴な意見もあったはずだ。
 だが、ヤガミ少尉は頑としてクビを縦に振らなかった。
 そんなことをすれば貴重な遺跡は破壊されるし、古代の遺物は、その機能が永久に失われてしまうと知っていたかのように。
 入り口を探して石室に足を運んでいるうちに、ヤガミ少尉は不思議な夢を見るようになったのだ。
 それ以来、毎晩ここにきて婚約者の姿を眺めるようになった。
 おそらく、ふたりが出会った幼少期から、秘密の場所で肩を寄せ合い、彼女が亡くなるまでの姿を。
 普通は、見る夢を選ぶなんてことはできないし、自分の知らない場面を見ることなんかできない。
 でも、水晶にはそれができる。
 ここに来れば、ヤガミ少尉はいつでも亡くなった婚約者の女性に会えた。
 夢の中では、彼女としゃべったり、手に触れたり、肩を抱くことも、温もりを感じることもできる。夢の中では、死はないのだから。銃で撃たれても、ビルから飛び降りても死ぬことはない。亡くなった人が生き返ってなにが悪い?
 夢から覚めれば、砂浜に書いた文字のように消えるとしても、古墳を守ることは、亡くなった婚約者を守ることと同じぐらい大切なことになっていた。
 ヤガミ少尉はこわくなかったはずだ。たとえ、軍法会議で処刑されるとしても。

 ぼくは、やさしいまなざしのヤガミ少尉をずっと眺めていた。
 なんか、自分の祖父の若い頃を見てるような親しみを感じた。
 ぼくは、学校のことが好きでも嫌いでもなかったけど、この人がぼくらの高校の創立者だと思うと、ほこらしいような気がした。
 ぼくは、学校で沙織に、このことを話してやろうと思った。
 きっと黒目がちな瞳を輝かせて、子供みたいに喜ぶはずだ。
 なにせ沙織はヤガミ少尉のファンみたいなものだ。市立図書館までいって熱心に調べていたし、学校の図書館だって大好きだ。
 目が覚めて忘れていなければ、の話だけど。

<<前へ 早川沙織からの手紙 -11- 次へ>>

コメント

タイトルとURLをコピーしました