作者:ブルー
次の日の朝、家の前の道路に出たところで玄関が開いて、制服姿の詩織が学生鞄とスクールバッグを手に姿をあらわした。
「お父さん、待って」
さらさらの長い髪をなびかせて小走りに駆け寄る。
セーラー服のリボンが跳ねるように弾んで、シャンプーのいい香りがした。
「どうした。テニス部の朝練か」
「ううん……たまには駅までいっしょに行こうと思って」
「学校に行く前に隣の彼は起こさなくていいのか」
隣の家には、詩織と同じクラスの男子が生活している。家族ぐるみの付き合いなので私も良く知っているが礼儀正しい少年だ。
「もう、お父さんまで私をからかうつもり。ただの幼なじみよ」
「詩織は彼にだけ採点が辛いな」
「そんなことぜんぜんないわよ」
朝の清々しい空気の中、駅までの道を並んで歩く。
近所の人たちからは仲の良い父と娘に見えているだろう。
「すごくいい天気。今日も暑くなりそう」
「学校まで歩きは大変だろ」
「この時間はまだ涼しいからそうでもないけど、帰りは汗が出るわ」
横目で娘の顔をチラリと見る。
昨夜のことなどまるでなかったかのように自然な表情をしていた。
もしかすると詩織の中でなにか吹っ切れたのかもしれない。
「詩織、ココ」
指先で首筋の横の場所をしめす。
詩織はスカートのポケットから丸いコンパクトを取り出して確認した。
髪に隠れていてわかりづらいが虫刺されのようなキスマークがくっきりと残っていた。
色白の肌をしているので余計に目立っている。
「やだ、気づかなかったわ。友達に見られたらどうしよう」
「高校生なんだし、彼氏につけられたとか適当にごまかせばいいだろ」
「そんなこといったらよけい騒ぎになるわ」
「詩織は学校の人気者だからな」
「他人事みたいにいって。お父さんのせいなのに」
詩織はポツリと口にした。
「ちゃんと寝られたか、あの後」
「……う、うん……はじめは誰かわからなくてすごく怖かったけど……」
「悪かったな。驚かせたりして」
「あのね……つぎからは来るときには教えてほしいかも」
私は思わず聞き返しそうになった。
詩織はうつむき加減にきめきモードになって頬を染めていた。
それが精一杯の返答なのだろう。私の顔をまともに見れないといった様子で歩いている。
「毎日、家族のために働いてくれてるわけだし……私がお父さんにしてあげられることはそれぐらいしかないから……」
その場で詩織を抱きしめたい気持ちがこみあげてきた。
人目があるのでさすがにできないが。
「詩織は世界で一番父親想いの女の子だよ。夕食後にLINEで知らせるのはどうだ?」
「それならお母さんにバレる心配もないし安心かも」
「ところで、部活の練習は何時ぐらいに終わりそうだ?」
「5時ぐらいかしら。それがどうかしたの?」
「帰りに買い物でも行くか。詩織の欲しい物を買ってやるぞ」
「ほんとに? うれしい」
現金なものだ。声のトーンが明るくなった。
最寄り駅に到着すると、詩織は小さく手を振りながら「お父さん、お仕事がんばってね」と見送ってくれた。
愛する娘のその言葉がなによりも励みになる。
都内のオフィスビルに出社した私はテキパキ仕事をこなした。
会議を終えて、休憩スペースで部下とコーヒーを飲む。
「顧客のライバル会社にM&Aを仕掛ける課長のアイディア、逆転の発想ですね。部長もうなってましたよ」
「あとは上層部のゴーサインが出るかどうかだな。この案件にはリサーチ部門の協力がどうしても必要になる」
「あれなら副社長派の常務も反対できないと思いますよ」
「だと、いいんだがな」
「なにかいいことでもありました?」
「ん? どうしてだ」
「藤崎課長がよくいってるじゃないですか。仕事ができる奴はプライベートも充実してるって。最近、若返って見えますよ」
「おいおい、私を褒めてコーヒー代にしかならないぞ」
「今日は営業一課のみんなで飲みに行きましょう。パーッと前祝いで」
「そうしたいところなんだがな。先約があって、すまん」
「もしかして受付の新人とデートですか? 課長は昔から女子にモテモテだからな」
「バカいえ。娘と買い物にいく約束があるんだよ」
「へぇー、課長もマイホームパパか。お嬢さんってすごい美人ですよね。芸能界にスカウトされてたとか」
「まだまだ子供だよ。いつまでも親に甘えてばかりで困ったもんさ」
「俺なら、あんな可愛い娘がいたら変な男ができないか心配になりそう」
「そうならないように教育するのが親の務めだよ」
「さすが課長。言葉に重みがあるな」
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夕方、会社を後にした私は、きらめき駅へタクシーで向かった。
駅前のペンギンのモニュメントの近くには、すでに制服姿の詩織が1人で立っていた。
私を見つけると、顔をパっと明るくして駆け寄ってきた。
「お父さん、お疲れさま」
「すこし遅刻したかな」
「ううん。ぜんぜん」
「部活で疲れてるだろ。その辺で軽く食べるか」
「うふふ。私、アイスクリームが食べたいわ」
詩織を連れて駅前の交差点を渡り、若者であふれるセンター街のアイスクリーム屋に行った。
そこでバニラとチョコミントとイチゴの3段トッピングしたアイスクリームを買った。
「すごく冷たくて美味しい」と、詩織は子供みたいにアイスを食べていた。
学校帰りの詩織が美味しそうにアイスクリームをほおばる姿はなかなか新鮮だ。
ブランドショップの入ったデパートに行き、詩織の欲しがっていた洋服を購入した。
涼しそうなノースリーブのシャツに紺色のポロシャツ、あとチェック柄のスカートなど。いずれも女子高生に人気のファッションだ。
2階のアクセサリーショップでは、小さいが本物のルビーの入ったイヤリングを詩織にプレゼントした。
「え……これ……」
「去年、クリスマスパーティーのドレスにあわせるアクセサリーが欲しいっていってただろ。これなら赤い色が詩織にピッタリじゃないか」
「でも、値段がすごく高いけど」
詩織は値札の数字を見て戸惑っていた。桁が一つ多い。
かなり痛い出費だが、大切な娘がパパ活をするのを防ぐためだと思えば安い。
「お母さんには内緒だぞ」
「すごくうれしい」
愛くるしい瞳を潤ませて感動している。
宝飾品の嫌いな女の子などいない。とくに詩織はロマンチストなので、生まれてはじめて宝石をプレゼントされた意味は大きいだろう。
さっそく店員に頼んで耳につけてもらっていた。
「どう? お父さん?」
詩織が耳元の髪を指先でかきあげてイヤリングを私に見せる。
キラキラと赤いルビーが輝いていた。
「すごく似合ってるよ。ぐっと大人っぽく見える」
「こんな素敵なプレゼント、生まれてはじめて……私、一生の宝物にするわ」
詩織はすっかり舞い上がった様子だ。
嬉しそうに鏡に映った姿を見ている。
会計を済ませデパートを出る。
日の落ちはじめた街中を、詩織と手を繋いでラブホテルに向かった。
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