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雨宿り
~序章~
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2017/01/12
作:白雲
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雨宿り

――1――
 穏やかな坂道をゆっくりと登ってきたバスが、軋む音を鳴り響かせて停車する。
 大きな衝撃に前のめりながら、空席の椅子を掴んでゆっくりと前へ進む。乗客は一人なので、焦る必要はない。都心部に比べて割高な運賃に顔を顰めて、硬貨を投げ込む。
「おつりは出ませんよ」
「……」
 百円玉を一枚多かったことに気付いて、「二度と乗るものか!」と内心で舌打ちをした。
 空気がもれる音ともに扉が開く。
 車外は大粒の雨である。本来なら高原の雄大な景色が出迎えてくれるはずだったが、まるで何も見えない。有るのは、雨、雨、雨……。街だろうが、高原だろうが何一つ変わることはない。時間と金をかけた分だけ損である。まさに最悪の気分だ。
 取り敢えず、目の前の屋根の付きのバス停に飛び込む。
「……」
 先客がいた。豊かな黒髪と椅子に掛けられた紺のブレザーの制服から水が滴り落ち、十分に雨の中で苦労したことが伺える。
 さらに、すでに全身ずぶ濡れで、前屈みになり、懸命にスカートの裾を絞っている。白いシャツが丸めた背中に張り付いて、ブラの紐が透けて見えた。
「よかったら、これ」
 ボストンバックから、新品のバスタオルを取り出す。
「結構です」
 即座に、しっかりとした声で断られた。まぁ当然であろう。逆に好感が持てた。
「俺のじゃない。会社の試供品だから。いらないなら捨てて」
 そう一方的に告げて、会社のロゴの入ったバスタオルを三枚置いてバス停を出る。傘を差し、バス停の裏から小道を登る。半分ほど進んだところで、痛烈な反省が襲ってきた。
 なぜ、あんなお節介を焼いたのか?
 通常であれば、絶対にしない行為である。今あの女子高生も、絶対に気持ち悪がっているだろう。
 コミュニケーション能力の全てを平日の仕事で使い果たし、休日にはピクリとも笑顔を作らない。外食で注文するのも億劫で仕方がない。出来れば一日中誰とも関わりたくない。いつの間にか、こんな偏屈な男になってしまった。
 その時、背後で大きな声がした。
「ありがとうございました」
 先程の女子高生が、深々とお辞儀している。
「濡れるから」
 傘を少し上げて答える。
「はい」
 女子高生は、魅力的な笑顔で頷いて、また雨宿りに戻った。
 あれ?
 その笑顔に何処か見覚えがあった。確か最近テレビで見たような気がする。その既視感が、親近感となって、思わず声をかけてしまったのかもしれない。
 雨の中を歩きながら、やれやれと苦笑しながら「余計のことしたなぁ」と呟いた。


――2――
 翌日は、一転して鮮やか晴天だった。プレハブ小屋の窓を開けて、高原の新鮮な空気を吸い込む。雄大な風景が、人の油で汚れた心を洗うようだった。
 ここは別荘地の中にある会社の資材置き場で、一通り別荘の建設が終わり、今は使われず半ば放置されている。ここで一人きりで一泊するのが、最近の休日の過ごし方となっていた。
 おや?
 コーヒーを淹れていると、二人組のジャージ姿の少女が登ってきた。
「こんにちは」
 鈴を転がすような声がする。一人は昨日のずぶ濡れの女子高生である。
「ああ、どうも」
 追い返すのも不自然なので、迎え入れる。
 自分だけの城が完成してから、余所者を入れたのは初めてである。正確には会社の物であって、私物ではないのだが、もう誰の記憶にも残っていないのだから、自分の城と言っても過言ではないだろう。
 ウッドデッキの上のテーブルに向い合せに座り、コーヒーを勧めた。
「どうぞ」
「お構いなく」
 女子高生は、紙袋を差し出す。中には、洗濯したバスタオルが入っている。
「昨日はありがとうございました」
「わざわざごめんね。捨ててくれてよかったのに」
「そんな勿体無いですから」
「しっかりしているね」
 気さくに喋って、紙袋を受け取る。
「合宿?」
 別荘地の隣接地には、体育館などのスポーツ施設がある。
「はい」
 はつらつとした声で答えたのは、隣の友人の方だった。そばかすが特徴的な元気そうな女の子である。
「私たち、新体操部なんです」
「新体操?」
 マイナーだなぁ、という感情を大袈裟なくらい語感に含める。
「この子、見たことありません? ニュースにもなったんですよ」
「ごめん、忙しくてテレビ観る時間ないんだ。本当に申し訳ない」
 手を合わせて、申し訳なさそうに眉を寄せた。最近、謝るふりばかり上手くなっている。
「いえ、いいんです」
 慎ましく、彼女は恐縮する。そして、改めて背筋を伸ばし、少し会釈して自己紹介した。
「浅倉南といいます」
「あ、津山です」
 さほど興味ないというふうに、事務的に返した。
「私は清水文子。津山さんは、ここで何をしているんですか? 津山さんの別荘なんですか?」
 今度は友人の方が喋り出した。そして、みすぼらしいプレハブ小屋を見渡す。
「ここは会社の資材置き場で、もう使わないから、たまに勝手にね、使ってる」
「悪い人ですね」
 屈託なく笑って、コーヒーを一口含む。
「それで、こんな所で何をしてるんですか?」
 遠慮なく、ぐいぐいと質問してくる。
「ああ、写真をね、ちょっと……」
「へーえ、どんな?」
「星空とか……」
「ああ、でも雨でしたよね」
「そう。だから小鳥でも撮って帰ろうと思っている」
「へーえ、見てみたい!」
 興味津々に目を輝かせて、まるで小躍りするようにプレハブの中を覗き込む。
 思わず、その腕を掴んでいた。
 ぎょっと驚いた顔して振り向く。
「御免、流石に会社の物だから、部外者は入れられないんだ」
 僅かに声が震えている。切羽詰まった感が、隠し切れない。
「……ごめんなさい」
 しかし、まだ学生であり、社会のルールに疎いという自覚が、清水文子を委縮させてしまったようだった。悔いたように、顔を伏せた。
「清水さんは、小鳥が好きなの?」
「はい」
 慌てて話題を転じると、清水文子はすぐに表情を変えた。この時期の女性は、本当に感情が目まぐるしく動く。
「飼っているんです。可愛いんですよ」
「昔、巣から落ちたツバメを育てたことがある」
「へーえ」
「花瓶で水浴びしたり、部屋をくるっと回って肩に止まったりして、意外に可愛いよね」
「そうですよね!」
 共通の話題が見つかり、清水文子の笑顔がはじけて、表面上、会話が弾む。
 ちらりと浅倉南を見遣った。
 コーヒーを然も退屈そうに飲んでいる。これだけの美人である。さぞ世界は自分を中心に回っていると思っていることだろう。
 その自分を差し置いて、友人と話し込むなど心外でならない、と思っているのだろうか……。それとも、合宿中逢えない彼氏の事を考えているのか……。
 その美しい顔の内側はよく分からない。

 他愛もない会話を事務的に終えると、コーヒーを飲み干して、少女たちは帰っていく。
 それを見送った後、カーテンで仕切った部屋の奥へと向かった。寝袋とビールの空き缶が転がる。そして、取り残されたホワイトボートには、びっしりと、裏の遊歩道をランニングする体操服やジャージ姿の少女たちの写真が貼られている。
 もはや仕事への情熱も失い、ただ与えられた役割を前例に従って、卒なくこなしているにすぎない。失敗すれば頭を下げ、成功すれば媚びた笑みを浮かべる。そんな熱のない日々を、まるで植物のようにただやり過ごしている。
 唯一、心動かされるものがあるとすれば、スポーツに打ち込む少女たちの直向きな表情と汗と涙を見ることだろう。
 思わず、写真に頬ずりしていた。
 本当に見入ってしまう。彼女たちを覗き見している時にだけ生きていると実感する。もはや拭い難い業としか言いようがない。
 だが、決して触ることはできない。触れば、忽ち全てを失ってしまう。臆病な私にそんなことはできる筈がない。私にできるのは……。
 恭しいまでに跪き、浅倉南が飲んだコーヒーカップを貪るように舐め回す。


――3――
 数日後、溜まっていた代休を利用して、再び訪れた。朝から遊歩道を望遠レンズで覗きながら、じっと物色を続けている。幾つかのグループがランニングで通り過ぎて、すぐに24枚撮りのフィルムを使い切った。
 昼休み頃に、遊歩道の先の小さな駐車場に一台のバイクが止まった。丸目のヘッドライトに螺旋状のホイールなどの特徴から、ヤマハのXJ650だろうと思う。
 黒いライダースーツの男がヘルメットを取る。長髪のいい面構えの男だ。しばらくして、浅倉南が現れて、何やら話し込み始めた。
「あれが彼氏か……」
 見惚れるほどの美男美女のカップルだ。いい女にはいい男が現れる。そして、少女は女になっていく。世界の摂理であろう。こうやって、覗き見するしかない自分とはえらい違いである。
 キスでもしないかと、どす黒い感情のままにカメラを構える。
 すると、案の定、男が浅倉南の髪に触れた。満更でもないように身体が近付く。
 いいぞ!
 シャッターを押す指に力がこもる。
 いよいよと言うところで、浅倉南が顔を背けた。男は力尽くに出ると思いきや、男前にも腕の力を抜いて離れた。
 美男子の余裕なのか、見掛け倒しの根性なしか、それとも、それほど本気で大事にしているという事なのだろうか……。
「そんなんじゃ、頭の中まで筋肉の男に掻っ攫われるぞ……くくく」
 口元を歪めて、卑猥に笑う。
 男は爆音を残して去り、浅倉南はゆっくりと遊歩道を歩いて宿舎に戻っていく。
「八方美人な女だ……」
 カメラで追いながら、勝手な事を呟く。
「その気があるなら、キスぐらいさせてやれよ。そうやって男達をその気にさせるだけさせて、手一つ握らせず高みの見物。無垢な男たちに取り囲まれて、一人で優越感に浸る訳か……顔がきれいなだけの残念な女だ」
 誰も聞いていないことを良い事に言いたい放題である。決して面と向かっては言えないくせに……我ながら歪んでいる。
 突然、浅倉南の足が止まり、顔の前に手を翳した。
「誰?」
 レンズの反射光で気付かれてしまった。このまま隠れているのは怪し過ぎる。もう仕方がない。顔を出すしかない。
「やあ、また会ったね。小鳥を撮っていたんだ」
 今にも心臓が破裂しそうである。
「そうなんですか」
 変わらぬ、万人を魅了する笑顔を見せてくる。否、前回会った時に比べて、明らかに美しさが増している。
 顔は熱く火照り、耳まで真っ赤である。瞳は潤み、鼓動が速いのだろう呼吸も乱れているようだった。
「それじゃ」
と特に会話もなく、再び歩き出そうとした時、一粒の雨が浅倉南の紅潮した顔に当たった。
「冷たい」
 慌てて空を見上げると、低い位置に黒い雲が出ていて、西から東へ忙しく動いている。
「一雨来そうだね」
「そうですね」
 困った顔をしている。
「車で送るよ」
「え? 車あるんですか?」
「ああ、車で来たんだ」
「……」
 さすがに躊躇している。
「風邪引いちゃうよ」
 前回の雑談の時、連れの友人が、濡れたことをコーチに叱られた、と一言漏らしていた。
「じゃ、お言葉に甘えて……」
「その方が良い。そこの裏口から入って」
 誤魔化したい一心でとんでもない展開になってしまった。頭がくらくらして、今にも吐きそうである。

「ちょっと待ってね。ガレージから車を出すから」
 鍵をガチャガチャ鳴らしながら外へ出ると、 浅倉南はぐるりと回って、プレハブの正面にもう来ていた。
「はい」
 短い返事だったが、声がやや上ずっているように感じ取れた。やはりカッコいい男に会った後で、少し浮かれているのだろう。
 また、少し走ったようで、前髪が汗でべっとりと肌にくっついている。
 一瞬、この距離でも匂いを感じられるかと期待したが、流石に無理だった。
 その時、ピカリと雷が鳴った。
「きゃあ!」
 浅倉南は悲鳴を上げて、抱き着いてきた。
「どうした?」
 こんなにも怖がるものかと不審げに声をかけると、シャツにしがみ付いた手がガタガタを震えている。
「きゃっぁ!」
 再び、凄まじい音を立ち、辺りに眩い閃光が走る。そして、二つの重なった影を白く浮かび上がらせた。
 浅倉南は短く叫んで肩に顔を伏せる。
「大丈夫だから」
 優しく背中を擦ってやる。正直、そこにいやらしさは微塵もなかった。ただか弱き者を守ってやりたいという騎士のような気分だった。
 唐突に雷はおさまり、代わって激しい雨が降り出した。静かに浅倉南は身体を離す。
 その瞬間、不覚にも、気恥ずかしさが顔中から溢れ出てしまった。
「あ、あ、あ、もう、大丈夫だね……」
 しどろもどろに呟く。
 すると浅倉南は笑い始めた。
「あははは。ごめんなさい。昔の、子供の頃のことを思い出しちゃって。あははは」
 彼女は無邪気に笑い続ける。
 本当に彼女は思い出し笑いをしていたのかもしれない。そんな真偽はともかく、遥かに年下の少女に笑い飛ばされている自分の姿を想い、これほど惨めだと感じたことはなかった。脳に痺れるような痛みが走り、腹に溶けた鉛が沈んでいくようである。不快感が全身を包み込み、どす黒い怒りが、ふつふつとわき上がって来た。
「大降りになりそうだな」
「そうですね」
「どうせだから、ここを引き払うことにするよ。ちょっと待ってて」
 平静を装いながら言って、プレハブ小屋の中に逃げ込む。そして、一つ大きく息を吐いた。あのまま傍にいたら、何をしでかすか分からない。
「ん?」
 すると彼女が扉から覗き込んで来る。
「ほぉ、こんな感じなんだ。みなみ、工事現場って初めて見た」
 好奇心に顔が輝いている。まるで考えるより先に、知りたいという感情に突き動かされて行動してしまったようだった。明らかに、行動が大胆であり、彼女はテンションが高くなっている。
「そう」
「意外と片付いているんですね」
「清掃業者に手伝って貰ったから」
「害虫とかはいたんじゃ……」
「業者に駆除させた」
「ゴミとは凄かったでしょう?」
「産廃業者に引き取らせた」
「なるほど」
「お茶でも飲んで、待ってて」
「あ、いいです」
 常識がある彼女は、そうそう入ってこようとはしない。
 その時、携帯電話が鳴った。巨大な充電器からずっしりと重たい携帯電話を抜き取り、顔ぐらいある黒い塊を顔の横に添える。
「お疲れ様です。……はい。その件でしたら、ちょっと待って下さい、手帳を持ってきますから」
 一度、電話を保留にする。
「仕事の電話が入ったから、これでも飲んでて」
 慌ただしく冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、さっさと奥へと向かう。
「……じゃ、遠慮なく」
 浅倉南は独り言を呟き、プレハブ小屋に入ってきて、茶色ソファーに腰掛けた。くるくると頭を動かして、じっくりと観察している。そして、ペットボルの蓋を取り、一口飲み込んだ。
 あのお茶は中国製で、ダイエット効果があり、利尿作用があると言われている。もじもじする姿を見ることができるかもしれないし、縦しんば、トイレを借りれば、残り香を嗅ぐこともできるかもしれない。
 あれほど怒りの感情を抱きながら、やった復讐がたったこれだけである。呆れるほどに小心者だった。
 手帳を捲り、日時などの用件を答えて、ようやく電話を切る。そして、振り返ると、彼女は流し台の食器を洗っていた。
「いいよ、いいよ、そんな事」
「はい、でも気になっちゃったから、もう終わります」
「気が利くんだね」
「そんなでもありませんよ。普通です」
「……ごめんね、すぐ準備するから」
「はい」
 寝袋やカメラなどをボストンバックに詰め込み、ゴミをビニール袋に投げ込む。
 膝をついて屈んだ状態で、ちらりと彼女を振り返った。
「どう、合宿はキツイ?」
「練習はそうでもないけど……」
「うむ?」
「人間関係は難しいかな。みなみ、女の子だけの世界ってあんまり慣れていなから」
「どうして?」
「いつも側に幼馴染の男の子たちがいたからかなぁ……」
「そうなんだ」
「女の子たちって、集まると結構大胆になるというか、変なことも平気で言っちゃうし……」
「そうかもね」
「付き合うの難しいなぁと思って……」
「大変だね」
 彼女は饒舌に話す。久しぶりにボーイフレンドに会い、その誘いをギリギリで巧みにかわすことができた。恋愛の達人になった気分か、または、ギャンブルに大勝ちした後のようなナチュラルハイの状態にあるのだろう。
 このまま大人しく低俗な女どもの巣に戻る前に、もう一つ、年上の男を掌に上で転がしてやれ、と無意識に思っているのかもしれない。
「……ふふ」
 余りにも曲解のし過ぎに、我ながら、思わず内心で笑ってしまった。
 ただ未来のスーパースターと言えども、同世代の少女たちの中では、あくまで対等の存在なのかもしれない。そして、彼女は無意識にそれを嫌っているのだろう。だから、一秒でも長く外にいたいのかもしれない。
「無理は良くないよ」
「でも、みなみが頑張らなくちゃ……」
 結構なプレッシャーを感じているらしい。
「頑張り屋さんなんだね。そんな時は視野を大きく取ればいい」
「視野?」
「将棋で次の手が分からないときは、四隅を見てみるといいらしい。落ち着けるし、新しい発見があるかも知れない」
「博学なんですね」
「……!」
 オッと危ない。聞き役に回るつもりが、何時の間にか主導権を握られてしまった。本当に男扱いが上手い。さぞもてることだろう。
「ヤバイ」
 その時、窓の外に人影が見えた。
「拙い。こんな所に女の子と二人きりでいたことがばれたら会社を首になる」
 いきなり狼狽した声を上げた。それに浅倉南も面食らった顔をする。
「こっち来て」
「え?」
 有無を言わさず、浅倉南を奥の簡易シャワー室へ導く。彼女も意味はよく分からないようだったが、その必死さに、取り敢えず従ってくれた。

「こっちこっち」
「だいじょうぶなのかよ~ぉ」
「平気だって」
「でもぉ~よぉ」
「休日に来るだけで、平日は誰もいないって、ちゃんと調べたんだから」
 狭いシャワー室から浅倉南とともに、二人の侵入者を見守る。プレハブ小屋に入ってきたのは、清水文子とその彼氏のようだった。もし彼女たちに十分な観察力があれば、我々の痕跡に気付いたろうが、二人は自分たちの世界に入り込んで、都合のいいものしか見ていない。
「遅くなって大丈夫?」
「南と話し合わせているから大丈夫よ」
「二人ともやるね」
「ふふ」
 清水文子が、高校生とは思えぬ妖艶さで笑う。
「南には、ちやほやしてくれる男子の視線は、三時のおやつみたいなものだから」
「なに、それ?」
「今は女子ばかりでしょ。うっぷんが溜まっているのよ」
「へーえ」
「それも、結構、女子高の子たちが進んでいて、ねんね扱いだから拗ねちゃっているの」
「面白いね」
「その子たちから借りた、この本を見て、目を白黒させていたわ」
 カバンから取り出したのは、派手な男女が表紙の女性用エロ雑誌である。
「ほら」
 ページをパラパラと捲る。
「すげえ、チンコの事が書いてある」
「どのタイプか確かめたいから見せて」
「え!?」
「いいから早く」
 押し切られて、ボーイフレンドはチャックを落として男性器を取り出した。
「ふむ、Cタイプね」
「なんだよ、それ?」
「不貞腐れない、してあげるから」
 彼女はそう言って、キスをして、手で扱いてやった。すぐに射精して、ティッシュでふいた。
「今日はここまで」
「えーーェ!」
「ぶーぶー言わない」
「折角、自転車こいできたのに……」
「もう小降りなんだから、仕方ないでしょ。ほら立つ」
 哀れ少年は、またもや押し切られてしまった。そして、二人は出ていく。

 まさに嵐のようだった。
「ふぅー、やっと行ったか……」
 思わず、大きく息を吐いた。その息が浅倉南の首筋にかかる。
「ひぃっひゃ!」
 浅倉南の身体が震えた。そして、俺の足に生温かい感触が伝わってくる。
「見、見ないで……」
 彼女が嗚咽を漏らしている。
 浅倉南は失禁していた。何時から我慢していたのか、よく分からない。さっきのお茶の効果にしては早過ぎる。男前と話していた時から我慢していたのか、ここに来たのはトイレを借りるつもりだったのか、色々と考えが浮かんでは消える。
 やはり、親友の話と行為がショックだったのではないだろうか。
 世界の中心にいたつもりが、いつの間にか周回遅れ扱いされている。彼女にしてみれば、世界が揺らぐぐらいの驚きであったに違いない。
「南ちゃん……」
 思わず、強く抱き締めていた。守ってやりたかった。
「だ、誰にも言わないで下さい。秘密にしてください」
 震える声で告げる。その瞳は左右に泳ぎ、全く俺を信じていないようだった。
「ああ……」
 俺はキスをしようとした。
「いやっ!」
 本能的に彼女は首を捻って回避する。それを強引に追いかけて、口の端にようやく触れた。
「これで俺は犯罪者だ」
「え?」
 俺の腕の中で、彼女が首を傾げる。
「訴えれば、俺はすべてを失う」
「……」
 その瞬間、彼女の瞳の中に強い光が生まれた。そして、両手を首の後ろに回して、強く唇を押し当ててきた。
 こんな泥の縄でもしがみ付くしかないほどに、彼女は追いこまれている。今、彼女に他の選択肢を見つけ出す余裕はなかった。


続く
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